裸足
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
裸足(はだし)とは、履物をはかないこと、またはその状態の足。
日本では、家の入り口で履物を脱ぐ習慣から、裸足で家の外に出ることは汚いこととされる。しかし農村では田植えなど裸足での作業もあるため、帰宅時に足をきれいに洗えばよいと考える人もいる。裸足で外出することは農村や海水浴場周辺などでないかぎり奇異に見られるが、何も悪いことではない。 足の裏でじかに自然を感じようとする「大地をはだしで歩く会」が結成されたこともある。
オーストラリア・ニュージーランドなどでは裸足で外出することは普通で、繁華街やショッピングセンターなどでも普通に裸足で歩いている子供が多い。一方、これらの2国の国民のルーツの過半を占めるヨーロッパのイギリスでは、裸足はエロティックなイメージで見られてきた歴史があり、女性が男性の前で裸足になることは性的な関係を許していると見られることもあった。性に関してことさら抑圧的であったビクトリア朝期には、ピアノの足にまでソックスをかぶせて不品行でないことを強調する風俗すら見られたという。
現代では「裸足である事」も一種のファッションとして見られており、足の爪へのネイルケアや足にミサンガを巻く(=長い靴下は履けない)事が流行ったり、素足に履く凝ったデザインのサンダル(鼻緒付きのビーチサンダルやトングサンダル、足にサンダルの台を貼り付けるヌードサンダルなど)や靴を履いた時に裸足に見える様なスニーカーソックスが売られたりしている。また、素足に下駄やイグサの草履を履くことが流行している。足が涼しく、足を開放したいという点から素足が注目され、また鼻緒への人気が高まっていることも影響している。子供の場合はなるべく裸足で生活させる主義の人も多い。素足・裸足で足を自然な状態にする発想のはだし教育が影響しているとされる。素足になれると足の自由さに気づく場合が多い。
裸足の子供は自然児のイメージで見られるため、たくましさや自由奔放の象徴という印象を持つ。テレビアニメ「アルプスの少女ハイジ」の主役・ハイジの場合、原作では靴を履いているのにアニメでは裸足の設定である。逆に野性児の印象で見られる事もあるので、制服を採用している学校で、暑い日に裸足でいたりすると処罰される事もある。小学校の場合、靴を履く学校で裸足で生活しようとすると、靴下・靴を履くよう注意される場合、自由にさせる場合、それぞれである。
裸体になることに準じて、裸足になることは神聖であるとされる場合もある。神社境内での参拝方法としてお百度参りがある。裸足で参ることで神を崇めるという理由である。アジアの寺院に入る場合は、入り口で履物を脱ぎ裸足になるよう求められる場所もある。これも神聖な場所には裸足で入るとの考えである。神事として護摩焚きの火の上を裸足で渡る火渡りが各地で行なわれる。
日本古来のスポーツは多くが裸足で行なう。神聖である意味、武器を持っていない意味(履物が武器になる可能性もある)、素足に草履や下駄を履く文化であったこと、動きやすいことと考えられる。実際、相撲は足を踏ん張るためには裸足でないと効果はなく、また土俵は神聖な場所として履物には決まりがあり、履物は許されない場合が多い。基本的には「地に足をつける」ことへの伝統があるものといえる。
また、運動会でも「足を踏ん張る」という事から騎馬戦などの動きの激しい種目や組体操などのマスゲームも裸足で行う事がある。靴を履いていると下にいる人が痛いという理由もある。これらとは別に、「速く走れる」という理由で50メートル走位の短距離走を裸足で走る生徒がいる事があるが、足に負担が掛かかり、怪我の元となりやすいので否定的な教師が多い。尚、その生徒が普段重い靴、不安定な形状の靴を履いていた場合、裸足で走る事で速く走れる可能性はあるが、大抵は足の痛さで相殺されてしまうようである。また、靴を脱ぎ、靴下で走る生徒も多い。
しかし、はだし教育を経験しているなど裸足で走ることになれている場合は、むしろ足が自由で足裏の刺激が心地よく、教師も健康によい働きをしていると肯定的である事が多い。どちらにしろ、裸足で良いタイムを出すには、ある程度のコースの整備と本人の「慣れ」が必要である。