西鉄100形電車 (軌道・北九州線)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
西鉄100形電車(にしてつ100がたでんしゃ)とは、西日本鉄道北九州線用の路面電車である。
目次 |
[編集] 概要
1936年(昭和11年)から1940年(昭和15年)にかけて輸送力増強のためボギー車57両が量産された。もともと北九州線には単車で100形が存在したが、それが早期に廃車されたため、この形式が2代目100形を名乗るようになった。そのためその前に落成した形式が200形を名乗っている。
[編集] グループ別解説
製造期間は比較的短いが、増備するたびに車両に改良が加えられたため、4種類に分類される。
[編集] 101~117
第1期グループ。外観上は北九州線200形と大きな差はない。
[編集] 118~124
第2期グループ。この形式より概観が大きく変わる。窓が大型化され、はじめて車両にヘッドライトが設置される。当時流行スタイルの流線型が取り入れられたため正面が若干傾斜している。引き戸の前・中扉だった。
120~122は一時、福岡市内線に転属し、301~303として在籍していた。
[編集] 125~137
第3期グループ。第2期のものとの外観上の差異は張り上げ屋根に変更されたことのみ。
この形式以降、北九州線に導入される車両は、運輸省規格型の500形10両を除き全て張り上げ屋根となる。福岡市内線や他社の路面電車と比べても張り上げ屋根の導入が早かったと言える。
[編集] 138~157
第4期グループ。第3期の車両と大きな差異は無いが、第1期と同様、扉が両端配置に戻っている。しかし後に全車両扉を折戸両端に改められたため、第3期と外観上は変わらなくなった。
[編集] 運用
様々な改良が加えられながら導入されたこの形式だったが、戦後に500形や600形が大量に製造された後、600形に合わせ、全車両とも扉を両端に移設して折扉に改め、前照灯を屋根から前面運転席窓下に移設し、集電装置をポールからパンタグラフに変更するなどの改造が実施された。
1977年(昭和52年)に福岡市内線の大幅廃止に伴って余剰となったワンマン化改造済の66形・300形・561形が計46両転入してきたため、100形はワンマン化された第4期グループのうちの10両を除いてすべて廃車となった。ワンマン化を受けて残った10両も1985年(昭和60年)の大規模縮小の際にすべて廃車となっている。
[編集] 保存車両
148号は北九州市小倉南区の北九州市交通科学館に保存された。しかし館は2004年4月に閉館し、現在は館の敷地に置かれたままとなっている。