西鉄500形電車 (鉄道)
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西鉄500形電車(にしてつ500がたでんしゃ)とは、かつて西日本鉄道(西鉄)で使用されていた電車の一形式である。
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[編集] 概要
大牟田線の急行(現在の特急にあたる)用として、1942年に汽車製造で2両編成2本が製造された。西鉄としては初の新形式車両であった。1948年8月に中間車を組み入れ、3両固定編成となった。
本形式の最大の特徴は、台車が連接台車になっていることであった。連接台車の採用は京阪60形電車で前例があったが、京阪60形は鉄道・軌道の双方を走行するため路面電車形の車体形状となっており、鉄道専用の本形式とは外観を大幅に異にしていた。台車は連接部分の台車が動力なし、編成両端の台車に115kWの電動機を2個ずつ装備していた。
車体は前面非貫通式3枚窓で、前面全体に若干の傾斜が付いていた。側面は片側2扉。先頭車は車体長さ16m、あとから組み入れた中間車は車体長さは先頭車よりも短い12.7mであった。乗務員室扉はなく、客室から運転台に入る構造であった。
座席は製造当初は転換クロスシートであったが、中間車の組み入れと同時にロングシートに改められた。
[編集] 編成
←大牟田 西鉄福岡→
- 501A - 501C - 501B
- 502A - 502C - 502B
なお、A・B・Cの記号は1960年12月1日の改番で付されたもので、それ以前は番号のみであった。
[編集] 製造後
製造当初は福岡~大牟田間の急行に用いられた。1948年に輸送力増強のため中間車を組み入れ、ロングシート化改造を受けたが、引き続き急行に用いられた。
1954年に歯車比が変更され、普通列車向けの歯車比となったが、急行にも用いられていた。しかし1000形の登場により急行運用から外され、専ら普通列車に用いられるようになった。
その後、車内照明の蛍光灯化、乗務員室扉の設置改造、扉窓のHゴム化などの改良工事が実施されたが、1974年5月に廃車となった。
[編集] 参考文献
- 『鉄道ファン』1962年9月号・11月号(交友社)
- 『鉄道ピクトリアル』1999年4月臨時増刊号(鉄道図書刊行会)