豊州家
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島津宗家8代当主島津久豊の三子、島津季久よりはじまる。季久が豊後守を称していたことからこの名がついた。初代の季久の代には鹿児島に近い帖佐を領していたが、2代の忠廉の代から日向飫肥に移る。飫肥に移ってからは度々日向伊東氏の攻撃を受け、5代忠親の時に飫肥の地を奪われてしまう。7代久賀以後は帖佐・黒木の地頭として島津宗家に仕え、家老などの要職にあった。15代当主・久寶も家老職に就いたが、島津斉興・お由羅の方側につき島津斉彬を排斥しようとしたため、失脚した。
[編集] 歴代当主
- 島津季久(1415‐1478)
- 島津忠廉(1439‐1490)
- 島津忠朝(生没年不詳)
- 島津忠広(1482‐1551)…子:次郎三郎、忠親(養子、北郷忠相の子)
- 島津忠親(1504‐1571)…子:朝久(6代)、盛久
- 島津朝久( ? ‐1645)…子:久賀(7代)、長寿院(松平定行の室)
- 島津久賀(1582‐1645)…子:久守(8代)、久元
- 島津久守
- 島津久邦
- 島津久兵
- 島津久智
- 島津久起
- 島津久中
- 島津久長
- 島津久寶
- 島津久典