越智通雄
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越智通雄(おちみちお、1929年4月23日 - )は、日本の政治家。国務大臣として経済企画庁長官、金融再生委員会委員長を歴任した元衆議院議員。当選回数8回。大蔵省出身。
元首相福田赳夫の娘婿にあたる。選挙ポスターは、名前を仮名で書くと回文になることを意識したものになっていた。 当選回数を重ねるまでは、上から読んでも、「おちみちお」、下から読んでも、「おちみちお」です。と選挙カーで連呼していた。
[編集] 略歴
- 1929年、東京生まれ
- 東大法学部卒業
- 1952年、大蔵省入省
- 1974年、衆議院議員に初当選
- 1983年、総選挙で落選
- 1989年、第75代宇野内閣で、経済企画庁長官
- 1990年、第77代海部内閣で、経済企画庁長官
- 2000年、2月25日に閣僚を辞任。
- 2000年6月、総選挙で惨敗。(惜敗率59.435%)
- 国務大臣経験者の大差での落選に「越智が落ちた」と話題に。
- 2003年4月27日、石井紘基衆議院議員が刺殺された事件に伴う衆議院補欠選挙に立候補するも落選。
- 2003年11月9日の衆議院議員選挙を前に、次男越智たかお(越智隆雄)に地盤を譲り、政界を引退した。
[編集] 手心発言
金融再生委員会委員長在任中の2000年2月19日、栃木県の金融機関関係者への講演で、「検査の仕方がきついとかあったら、どんどん直接おっしゃってください。最大限考慮しますから」と発言。「手心発言」として議論を呼び、委員長辞任につながった。
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