足利晴氏
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足利 晴氏(あしかが はるうじ、永正5年(1508年) - 永禄3年5月27日(1560年6月20日)、在位1535年-1552年)は戦国時代の4代目古河公方である。父は足利高基、母は宇都宮成綱の娘。兄弟に上杉憲寛。妻は簗田高助の娘・北条氏綱の娘芳春院。子は足利藤氏・足利義氏ら。幼名は亀若丸。
北条氏綱の娘婿となって、関東一帯にその影響力を保持しただけではなく、後北条氏の支援のもと、足利高基の代から敵対した小弓公方 足利義明を滅ぼした。
しかし、氏綱の死後、後を継いだ北条氏康と敵対し、上杉憲政や上杉朝定と同盟を結んで1546年、ともに北条領に侵攻するが、河越夜戦で大敗すると、古河公方としての力を失ってしまう。そして命は助けられたものの、1552年に公方の座を子の足利義氏に譲ることを余儀なくされたうえで、1554年には古河城を攻められ、氏康によって相模国波多野(神奈川県秦野市)に幽閉されてしまった。1557年7月には古河城復帰を許されるものの、9月には氏康によって廃された嫡男・足利藤氏の義氏打倒のクーデターが発覚して今度は栗橋城に幽閉された。
1560年、死去した。法名:永仙院系山道統。墓所:千葉県野田市関宿台町の観照山宗英寺。
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