足利氏 (藤原氏)
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足利(あしかが)氏は藤原北家中藤原秀郷の後裔。源姓足利氏とは異なる。
[編集] 出自・略史
平安時代の関東の豪族。下野国足利付近を本拠とする。藤原秀郷の後裔で、成行の代から足利と称した。その養子家綱は、保元三年(1158年)には京都に出、相撲人を勤め、応保元年(1161年)には下野梁田御厨(足利市)の地頭職をめぐって、源姓足利氏と争った。その子俊綱は数千町歩を領有する郡内の棟梁であって、同じく秀郷流藤原氏の小山氏と、一国の両虎として争っていたというから、北関東の豪族的領主として相当の勢力を有したと見られる。この地方には他に源姓足利氏・新田氏の両氏が角逐していたが、源頼朝の挙兵に際して俊綱・忠綱父子とともに平家に属したため滅ぼされた。成行の子孫のうち大胡・佐野・阿曾沼の諸氏は頼朝に属し、鎌倉御家人として発展した。また、源姓の足利氏と見分けるためにこちらのほうは特に藤姓足利氏と呼ばれている。
[編集] 参考文献
- 『国史大事典 第1巻』吉川弘文館 国史大辞典編集委員会(編)ISBN 4642005013
[編集] 関連項目
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