佐野氏
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佐野氏(さのし)は平安時代末期から江戸時代初期にかけて下野国を中心に栄えた一族。
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[編集] 歴史
藤原秀郷の末裔の一族で、藤姓足利氏(源姓の足利氏とは別)の庶流。足利有綱の子で下野国安蘇郡佐野庄に土着した佐野基綱より始まる。
本宗である藤姓足利氏当主足利忠綱が志田義広と手を組んだのに対し、基綱は早くから源頼朝に味方したため、頼朝によって藤姓足利氏の嫡流が滅亡したのちも、鎌倉幕府の御家人として勢力を維持した。承久3年(1222年)に発生した承久の乱での戦功で淡路国に所領を得るが、宝治元年(1247年)の宝治合戦では三浦氏に与し、本領以外は没収され一時没落した。
鎌倉幕府の滅亡後は足利氏に属し、室町時代を通して鎌倉公方、古河公方に仕え活躍した。戦国時代になると、古河公方の足利義氏が後北条氏に軟禁されるなど衰退したため、佐野氏も後北条氏の影響下におかれるようになり、そのため後北条氏と敵対する関東管領上杉謙信の侵略にたびたびさらされるようになった。それでも佐野豊綱・佐野宗綱の代には一定の独立した勢力を保っていたが、宗綱の戦死後、後北条氏から養子(佐野氏忠)を迎えその傘下となる。そのため小田原の役において滅亡の危機を迎えたが、佐野房綱(了伯)が豊臣秀吉に味方し活躍したため存続を許された。
しかし、江戸時代初期の当主佐野信吉に不行跡があったため江戸幕府を開いた徳川氏により改易処分となり、大名としての佐野氏は終焉した。子孫は旗本として存続した。天保4年(1784年)に江戸城中で時の老中田沼意次の子息、若年寄田沼意知に斬りつけて殺害した旗本佐野政言も子孫の一人である。
[編集] 文学作品
室町時代に成立した謡曲『鉢の木』の主人公は佐野源左衛門常世である。北条時頼の廻国伝説を基にした物で、「いざ鎌倉」という鎌倉武士の意気込みを現す話として教科書等にもよく取り上げられる。
[編集] 佐野氏の人物
[編集] 平安時代・鎌倉時代
- 足利有綱
- 足利成俊
- 佐野基綱
[編集] 南北朝時代・室町時代
- 佐野増綱
- 佐野義綱
- 佐野氏綱
- 佐野師綱
- 佐野重綱
- 佐野季綱
[編集] 戦国時代・安土桃山時代
[編集] 江戸時代
[編集] 関連項目
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