辛垣城
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辛垣城遠景 | |
通称 |
西城 |
城郭構造 |
連郭式山城 |
天守構造 |
なし |
築城主 |
三田綱秀 |
築城年 | |
主な改修者 | |
主な城主 |
三田綱秀 |
廃城年 | |
遺構 |
空堀、土塁 |
位置 |
目次 |
[編集] 概要
辛垣城は三田氏により築かれた山城。上杉謙信の関東侵攻後後北条氏を離れ上杉方に付いた三田氏がその峻険な地形を頼んで拠り、名族三田氏の終焉の地となった。
[編集] 構造
雷電山から延びる尾根上に聳える、独立性の高い円錐形様の辛垣山山頂付近に郭を重ねる。北方を除く三方の尾根上には郭が認められ、特に南に延びる尾根上には馬洗い場と呼ばれる比較的大きな郭が設けられている。
[編集] 遺構
山頂付近に郭、空堀、土塁、縦堀等の遺構が残るが、江戸期以降採石場として利用された為、一部遺構は旧態を失っている。
[編集] 沿革
- 永禄年間初期、三田綱秀によって築かれた。
- 永禄3年(1560年)の上杉謙信関東出兵後、城主の綱秀は後北条氏を離れ上杉方に付いた。
- 永禄4年(1561年)の上杉氏撤兵後、後北条氏と対立した綱秀が勝沼城から居を移した。
- 永禄6年(1563年)、北条氏照に攻められ落城した。