逆櫓の松
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逆櫓の松 (さかろのまつ)とは今の大阪府大阪市福島区福島付近にあったとされる老松のことである。源平合戦において、この老松の下で源義経と梶原景時が論争した事で知られる。
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[編集] 歴史
- 景時は、「船のへさきにも櫓を付けて、どの方向へもたやすく転回出来るようにしたい」と進言した。それに対して義経は、「はじめから逃げることを考えては縁起が悪い」と景時の意見を退けたといわれる。
- 2月16日 (旧暦)、暴風雨のために景時は出航を見合わせようとするが、義経は僅か5艘150騎で暴風雨をついて出航する。義経の兵団は通常3日の航路を6時間ほどで阿波国勝浦に到着し、平家の軍が居た屋島を急襲した。
[編集] 現在
- 「逆櫓の松址」碑が、福島2-2-4 マンションドルミール福島の敷地内にある。
- 石碑には第二次世界大戦の空襲で焼けた痕跡が残っている。
- 老松は枯れて、現在はその痕跡をとどめていない。