長谷川周重
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長谷川周重(はせがわ のりしげ 1907年8月8日-1998年1月3日)は、日本の実業家。
[編集] 人物・略歴
東京府立一中などを経て、1931年、東京帝国大学法学部政治学科卒業。住友合資入社。その後、住友化学へ移り、常務取締役時代に技術導入、逐次展開方式を採用した。1965年、住友化学社長に就任、以後、会長、相談役に。
また清水一行の「小説 財界」で描かれた住友の飛車角、長谷川と住金・日向方斉との大阪商工会議所会頭争いが知られている。大阪商工会議所会頭の椅子を巡る争いは、その前には小田原大造久保田鉄工社長と土井正治住友化学社長との間で、大企業の利益代表・キタ、中小企業の利益代表・ミナミを双方担った「第1次南北戦争」として争われた経緯はあったが、それとの対比で「第2次南北戦争」と呼ばれた。長谷川は作中・小早川として、野武士的な日向に対して「公家」として描かれた。大阪商工会議所会頭の5選を目指す佐伯勇に対して経団連副会長として東京で活躍していた長谷川が公然と異を唱え出馬したが、住友グループの日向は佐伯支持に回った。住友グループの長老らは長谷川の説得に回ったが、長谷川の意志は固く、また芦原義重が支持に付いた。長谷川・日向両者とも住友合資の同期であり、常にライバル関係にあったこと、住友の関西財界における寡占が背景にあった。結局、新会頭には古川進大和銀行会長が就いた。
1974年、経団連副会長、日経連理事に就いた。1981年、日本経済協議会代表世話人に、また日本ギリシャ協会会長として1988年、ギリシャの外国人最高勲章であるグランド・コマンダー・オブ・ジ・オーダー・オブ・オーナー受賞。
1989年、世界経営協議会会長、名誉会長に。他に、藍綬褒章、フェニックス賞、勲一等瑞宝章受賞。