間部詮実
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間部 詮実(まなべ あきざね、文政10年4月28日(1827年5月23日) - 文久3年11月27日(1864年1月6日))は、越前鯖江藩の第8代藩主。父は第7代藩主・間部詮勝(詮実は次男)。母は松平康任の娘。正室は伊東祐相の娘。官位は従五位下。安房守。
江戸に生まれる。幼名は岩次郎。巌次郎。長兄が早世したため、世子に選ばれ、1862年11月27日に、父が亡き井伊直弼と協力して安政の大獄などを行った責任を追及されて1万石削減の上で強制隠居処分となったため、その後を継いで藩主となった。教養人として優れており、「待月亭日記」70冊という随筆集を残している。37歳で死去し、後を養嗣子(実は弟)の間部詮道が継いだ。法号:修和院。墓所:東京都台東区花川戸の九品寺。
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