馬公市
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台湾省澎湖県馬公市 | |
地理 | |
位置 | 東経119°33' 北緯23°30' |
面積 | 33.9918km² |
人口 | |
戸口(2006年4月) | 17,365戸 |
人口(2006年4月) | 54,016人 |
政治 | |
行政区分 | 県轄市 |
市長 | 蘇崑雄 |
地方自治期間 | 馬公市民代表会 |
下部行政区画 | 34里625鄰 |
その他 | |
郵便番号 | 880 |
市外局番 | -- |
市花 | - |
市鳥 | - |
市木 | - |
別称 | 媽宮 |
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馬公市(まこう/マーゴンし、ピンイン:Mǎgōng、注音: ----)(は、中華民国(台湾)澎湖県の県政府所在地にして、同県唯一の県轄市。澎湖諸島の澎湖島にある。台湾の歴史上最も早くから漢民族の集落が存在していた地である。
馬公市内には、1592年に創建された台湾最古の廟である天后宮がある。馬公の市街はこの天后宮を中心に形成され、その街路網は現在でも残っている。天后宮以外にも、澎湖島内には150近くの寺廟がある。ただし、島民の生活が古くから海と密着したものであったことから、そのほとんどが海の神である媽祖を祀っており、島民の伝統的な生活を窺うことができる。
目次 |
[編集] 地理
[編集] 歴史
澎湖が行政機能に属したのは元代の1281年であり、澎湖巡検司が現在の媽祖宮(天后宮)附近に設置されたのが初見である。明初は巡検司制度を踏襲したが、後にこれを廃止し、鄭成功が台湾を拠点にした後に安撫司が設けられた。清代になると再び巡検司が復活したが、1727年に澎湖海防糧捕庁と改編され1895年まで存続していた。1887から1889年に掛けては澎湖城(媽宮城)が澎湖初代総兵である呉宏洛により建築された。
日本による統治が開始されると当初は清代の制度を踏襲したが、1920年の台湾地方改制の際に澎湖に郡制が施行され、澎湖庁を設置するとともに媽宮を「馬公街」と改称した。光復後は馬公街は馬公鎮と改編され、1981年12月25日には県轄市に昇格し現在に至っている。
[編集] 行政区画
嵵裡里 山水里 中央里 中興里 井垵里 五徳里 石泉里 光明里 光復里 光華里
光栄里 安宅里 西文里 西衛里 東文里 東衛里 虎井里 長安里 前寮里 重光里
重慶里 風櫃里 案山里 烏崁里 啓明里 桶盤里 復興里 朝陽里 菜園里 陽明里
新復里 興仁里 鎖港里 鉄線里
[編集] 歴代市長
[編集] 教育
区分 | 数 | 名称 |
---|---|---|
大学 | 1 | 国立澎湖科技大学 |
技学 | 0 | - |
高中 | 1 | 国立馬公高級中学 |
高職 | 1 | 国立澎湖高級海事水産職業学校 |
国中 | 3 | 澎湖県立馬公国民中学 澎湖県立中正国民中学 澎湖県立澎南国民中学 |
国小 | - | - |
[編集] 交通
種別 | 路線名称 | その他 |
---|---|---|
港湾 | 旅客 | 馬公港 |
空港 | 国内線 | 馬公空港 |
[編集] 観光地
- 四眼井
- 馬公風櫃尾荷蘭城堡
- 馬公金亀頭砲臺
- 澎湖天后宮
- 桶盤石柱
- 虎井嶼
- 風櫃聴濤
- 蒔裡海水浴場