高城剛
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高城剛(たかしろ つよし、男性, 1964年8月18日-)は、映像作家とDJをこなすハイパーメディア・クリエイターである。東京都出身。
ハイパーメディア・クリエイターとは、日大芸術学部在学中から活躍していた高城を取材に来た朝日新聞の記者の命名。 当時、縦割りだったメディアの垣根を超えて、横断的に活躍するクリエイターの意として名づけられる。
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[編集] 来歴
1987年日大芸術学部在学中に、ビデオアーティストとして「東京国際ビデオビエンナーレ」でグランプリを受賞しているが、当時からテレビや雑誌にも数多く出演。デビュー前の電気グルーブと生放送で台本を突然終わりからはじめるなどの暴挙を毎週やっていた音楽番組「ファンキートマト」(TVK)のメイン司会、土曜深夜の名物番組「ベストヒットUSA」(テレビ朝日)の後枠ではじまった「USAエクスプレス」(テレビ朝日)などにレギュラーとして登場。当時の「USAエクスプレス」のディレクターは、後に映画監督となる堤幸彦であり、「君、面白いからテレビ出てみない?」と番組のスーパーバイザーだった高城を出演者として誘ったらしい。また、当事講談社社員だったいとうせいこうや山田五郎に見出され「ホットドッグプレス」(講談社)、「テレビブロス」(東京ニュース通信社)、「スタジオボイス」(インファス)で文筆家として実績を重ね、1997年「デジタル日本人」(講談社)は、ベストセラー入り。2006年には、およそ十年ぶりの書き下ろし「ヤバイぜっ!デジタル日本」(集英社新書)が、発売され新書ベストセラーになった。
また、二十代前半は2ドアの乗用車内で長く生活したいたことは有名であり、その様子は、ファッション誌「ポパイ」(マガジンハウス)などでも、取り上げられた。いまでも、趣味のひとつは野宿で、2006年「ブルータス」(マガジンハウス)で「世界野宿マップ」などを発表している。
[編集] 活動
- メジャーな映像作品は「LaLaLa/小泉今日子」(ビクター・エンタテインメント)からであり、このサウンド・プロデューサーが盟友藤原ヒロシであったことから起用される。その後、「一日にまったく関係ない別々のアーティスト3組を、すべて別の場所で撮影しなければならなかった」(ソニーマガジン)ほど売れっ子演出家になり、オリコントップ10中6曲が高城演出だったこともある。1991年、初のテレビドラマ監督作品「バナナチップスラブ」(フジテレビ・松雪泰子主演)は、革命的テレビドラマとして、いまだにビデオテープがヤフオクなどで高値で取引されている。中古売買市場で、VHS上下巻未開封で、10万円以上とされる。(2005年)
- 半ズボンにスニーカー、帽子という今日のBボーイスタイルを80年代の日本に定着させ、ストリート・カルチャーとコンピュータ・カルチャーにアイコニックな存在として、日本人として、はじめてナイキのCMに出演する。
- 30歳を前後し、テレビを離れ、いち早くコンピュータの未来に着目し、1992年に米国でフューチャー・パイレーツ株式会社を設立。翌年1993年日本でも設立し、マルチメディアやインターネットといった今日主流のデジタル・カルチャーを世界的に牽引した。1993年に発売されたCD-ROMゲーム「チキチキマシン猛レース」は、大ヒットとなる。翌年1994年には、インターネット上の仮想都市「フランキー・オンライン」開始。アメリカをはじめ、世界の賞を受賞するが、1997年に韓国企業に売却。その売却益で、デジタルスタジオ「ゴールドフィンガー」を設立。
- 長年の熱心なファンは、「高城教」の信者と呼ばれており、また、「高城教」の上層部は、「チーム高城」と呼ばれ、芸能界からマスコミ各社、メーカーから官庁にまでに渡り、主要なメンバーがいるとされる。布教はブログを通じて行い、旅行から購入物に至るまで書かれており、実際このサイトが火付けになった商品やレストランなどもある。
- 内閣府の依頼による近年の沖縄ブームの仕掛け人でもあり、総合プロデュースしたサイト「ワンダー沖縄」では、グーグルアースなどの最新技術が使われている。
- DJ活動を40歳からはじめ、それ以降の肩書きのひとつとして、「DJ」を使っている。新木場ageHaなど国内主要クラブのほか、上海、台北、パリ、バンコクなど海外でもプレイ。2005年英国ベストトラック「MostPreciousLove/Blaze」のリミックスをNYのKingStSoundから2006年にリリース。他に「HyperRainbowDVD」(ユニヴァーサル/DefJam)がある。
- 中田英寿の親友と言われており、毎年夏休みに男二人旅の模様が、Nakata.netTVで放映されている。しかし本人は「サッカーは、まったく見ない」(Nakata.netTV・2005年年末特番)とのことであったが、2006年ワールドカップ・ドイツ大会は観戦に行き、親友の最後の勇姿を見届けている。(週刊アスキー)中田の引退の言葉「人生とは旅であり、旅とは人生である」は、高城剛の人生哲学そのものであり、中田の引退から今後に、もっとも影響を与えた人物と言われている。
[編集] 代表作
主な映像作品(プロデュース含む)
- 1989年 ビデオクリップ作品「NATIONAL KOIZUMIC VIDEO / 小泉今日子」
- 1991年 連続テレビドラマ「バナナチップス・ラブ」(フジテレビ)
- 1994年 ビデオクリップ作品「everybody goes-秩序のない現代にドロップキック-/ Mr.Children」、インタラクティブ版「チキチキマシン猛レース」(CD-ROM)
- 1995年 インターネット仮想都市『フランキー・オンライン』
- 1997年 映画「SFサムライ・フィクション」(出演:布袋寅泰、藤井フミヤ、監督・中野裕之 )プロデューサー兼特撮監督
- 2002年「日韓ワールドカップ」民放BS六社共同CFプロデュース、映画「目下の恋人」(主演:井川遥、監督・脚本:辻仁成)プロデュース
- 2003年 ルイヴィトン+村上隆「SUPERFLAT MONOGRAM」(監督・細田守)プロデュース、六本木ヒルズCF「六本人あらわる」プロデュース
- 2005年 ハウスコンピDVD「Hyper Rainbow DVD」DVJ(DJ+VJ)
主な著書
- 「高城剛の大穴イッパツ」インファス 1995年
- 「デジタル日本人」講談社 1997年
- 「ヤバイぜ!デジタル日本」集英社新書 2006年
主な広告出演
- NIKE「エアマックス」
- NTT企業広告
- Panasonic「Woody」
- Vodafoneデータ通信カード
- ヴァージンアトランティック航空「アッパークラス」
他
- 総務省「次世代放送コンテンツの振興に関する調査研究会」委員
- 『地域文化デジタル化事業』の推進に関する構想委員会」委員
- 高城剛東京事務所、フューチャーパイレーツ(株)など、日米欧10社以上の取締役を務めている。