高松宮
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高松宮(たかまつのみや)は、かつて存在した日本の皇室の宮家で、直宮家の一つ。
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[編集] 概要
太平洋戦争後の皇籍離脱を逃れた宮家の中では最古の伝統をもった。ただし、祭祀の上では有栖川宮家の流れを汲むので、鎌倉時代に存在した旧高松宮家とは区別する事が多い。
[編集] 歴史
高松宮家は、有栖川宮家の別称であった。男系子孫が絶えた為、大正天皇の特旨により、1913年(大正2年)に大正天皇の第三皇子光宮宣仁親王が再興した。
宣仁親王は同年、有栖川宮家の最後の当主威仁親王の没により絶えた有栖川宮の祭祀を継承。威仁親王の外孫にあたり、徳川慶喜の孫娘の徳川喜久子と結婚したが、夫妻の間に子はなかった。
[編集] 系統断絶
1987年(昭和62年)2月3日に当主の宣仁親王、また2004年(平成16年)12月18日には喜久子がそれぞれ薨去し、宮家は断絶した。憲法で皇族の養子が禁止されているため高松宮家を称する子孫はいない。しかし、宮家の祭祀は秋篠宮文仁親王が継承しているので、有栖川宮あるいは高松宮の称号が複活される可能性はある。[要出典]
[編集] 屋敷
東京都港区高輪一丁目(月の岬上)に屋敷があり、同地は江戸時代細川家下屋敷であった。戦前は隣接する高松中学校や都営高輪アパートも宮邸敷地の一部であったが、終戦後に払い下げられた。現在同地の一部には共同住宅の建設が進められている。