高梨政頼
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時代 | 戦国時代 | |||
生誕 | 永正5年(1508年) | |||
死没 | 不明 | |||
氏族 | 高梨氏 | |||
父母 | 父:高梨澄頼 | |||
子 | 高梨秀政、高梨頼親 |
永正5年(1508年)、高梨澄頼の子として生まれた。信濃中野(長野県中野市)を治める国人領主であった。名将であった祖父の高梨政盛の死後、高梨氏は弱体化し一時父とともに縁戚の長尾氏を頼って越後に逃れていたが、長尾為景の後援により旧領復帰をなしとげた。為景の妹を妻に迎え、長尾氏との関係を強化し、長尾晴景と長尾景虎(上杉謙信)が家督を争った際には景虎を支持した。 その後、甲斐の武田信玄が信濃に進出するようになると村上義清と共に抵抗したが、敗退して飯山城に逃れ、上杉謙信に保護を求めた。これが川中島の戦いの契機となる。
その後は子の秀政らと共に謙信の家臣となり、永禄4年(1561年)の謙信による関東出兵では秀政と共に春日山城の留守居を務めた。同年9月の第4次川中島の戦いでは、秀政と共に上杉軍の先鋒を務めた。
没年に関しては不明である。