高槻中学校・高等学校
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高槻中学校・高等学校(たかつき - )は、大阪府高槻市沢良木町2番5号にある私立の男子中高一貫校。運営法人は学校法人高槻高等学校。
元大阪医科大学理事長である藤堂献三が昭和15年10月に創設。昔は大阪医科大学への推薦など交流があったが近年はほとんどない。 医学部進学希望者が多い。高校からの編入は募集が停止されており行われていない。
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[編集] 組織・構成
高槻高等学校と高槻中学校からなる。
[編集] 特色
前理事長の強い信念の下、旧制高等学校のような学校を目指しており、学校を挙げて組織的に勉強に力を入れるようになった昨今においても、校風が比較的自由ということでその面影が残っている。
また、その前理事長の影響力の強さを示すものとして、この学校の修学旅行では交通手段として飛行機を避けるという特殊な事情が挙げられる。これは前理事長の意向のためである。
クラブ活動が盛んな学校で、中学ではほぼ全員がクラブに所属している。どのクラブも進学校の割にはかなり熱心に練習に励んでおり、特にアメリカンフットボール部、将棋部、吹奏楽部はレベルが高い。
文化祭は最も盛り上がる行事の一つで、クラブやクラス単位で、毎年かなりの時間をかけて準備を進める。自主性を重んじる校風の高槻らしく、教師はほとんど関与せず、企画、管理、運営ともほとんど生徒の手でなされる。
学習指導においては伝統的に読書指導、ディベート、読書感想文など、大学受験とは直接関係のない教育にもかなり力を入れており、受験勉強に偏らない学力の養成に力を入れている。しかし近年は大学受験における実績が低下しつつあることから、受験指導の方にもかなり力を入れてきている。
[編集] 大学進学実績
- 東京大学、京都大学、大阪大学、神戸大学、慶應義塾大学、早稲田大学に数多くの生徒が進学している。
- 近年で最も進学実績が良かったのは2000年で、東京大学に6名、京都大学に51名、大阪大学に34名、国公立大学医学部医学科に29名の合格者を出した(卒業生数は毎年約260名)。
- ここ数年、進学実績が低迷がちである。これを受けて、生徒の自主性を重んじる校風の下、これまで学習、進路指導の面に関心の低かった学校側もようやく学習指導面での強化に乗り出しおり、2007年度から少しずつ成果が現れている(2007年の合格者は東京大学5名、京都大学35名、大阪大学21名、国公立大学医学部医学科25名)。
[編集] 沿革
- 1945年 創立
[編集] あゆみ
藤堂献三元理事長(元大阪医科大学理事長)が高槻地域の父母の強い教育要望に応えて有志と相はかり、多数の方々の協力を得て、昭和15年10月現在地に創設した高槻中学校にはじまる。
昭和23年の学制改革後は、高槻高等学校と高槻中学校を併設して、大学進学をめざした中高一貫の教育を忠実に実践し、教育効果の向上を図ってきた。
昭和55年高校校舎、57年管理校舎、59年体育館・武道館、60年クラブ室を増改築、平成4年第二体育館(卓球場)新築、5年全教室に冷暖房設備を施し、12年中学新校舎が完成、さらに14年に図書館を増改築し、図書・総合教育センターを新設するなどの教育環境の整備に努めてきた。旧制中学時代からの進学校の良さと個性重視の教育を伝統として受け継ぎ今日に至る。
また2007年春から運動場の増設を行うため、工事が行われている。
[編集] 出身者
- 難波昭二郎 - 読売、西鉄所属の元プロ野球選手
- 城戸紘志 - JUDE所属のドラマー
- 登大遊 - ソフトイーサ株式会社代表取締役会長
- 福中康博 -京都大学教授
- 内藤正明 -京都大学教授
- 子安増生 -京都大学教授。教育学。
- 大山武人 -アナウンサー。東京大学卒。
- 石原葵 -前農林水産事務次官。東京大学卒
- 高橋憲明 -大阪大学名誉教授。
- 小阪謙造 -洋画家
- 田中良平 -版画家
- 牧正英 -関西学院大学教授 。社会学。
- 井上勝也 -同志社大学教授
- 万屋秀雄 -鳥取大学教授
- 若土正暁 -北海道大学教授
- 三野和雄 -大阪大学教授 。経済学。
- 赤松紀彦 -京都大学助教授
- 恵口豊 -大阪大学助教授
- 太田耕司 -京都大学助教授。物理学。
- 金井克光 -東京大学助教授 。医学。
- 池下節夫 -高槻市議
- 山本登朗 -関西大学教授。国文学。