高江達二
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基本情報 | |
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本名 | 高江 達二(たかえ たつじ) |
あだ名 | 豪腕ギャンブラー |
階級 | ミドル級(K-1) |
国籍 | ![]() |
誕生日 | 1981年7月23日 |
出身地 | 日本国、福岡県 |
命日 | |
死地 | |
スタイル | ボクシング キックボクシング |
プロキックボクシング戦績 | |
総試合数 | 14 |
勝ち | 12 |
KO勝ち | 5 |
敗け | 2 |
引き分け | |
無効試合 |
TATSUJI(たつじ、1981年7月23日 - )は、日本のキックボクサー・元アマチュアボクサー。本名は高江 達二(たかえ たつじ)。身長174cm、体重70.0kg。大東文化大学卒業。アイアンアックス所属。
キックボクサーであった伊藤隆がプロデューサーを務める立ち技格闘技イベント「R.I.S.E.」の看板選手であり、K-1の中量級大会「K-1 WORLD MAX」のリングでも活躍中。魔裟斗と並ぶビッグマウスの持ち主であるが、素顔は負けず嫌いで向上心旺盛な青年である。将来の夢は単純明快で、「億万長者になり、いい車に乗っていい家に住む」とのことである。
目次 |
[編集] 来歴
[編集] アマチュア時代
バックボーンはボクシングで、高校3年間・大学4年間アマチュアボクシングで実績を作ってきた。全日本選手権、国民体育大会で優勝は出来なかったものの、それぞれ3位に入賞。北京オリンピック候補者とも呼ばれていたが、本人はその道を捨ててプロの格闘家として人生を歩むことを決意した。
[編集] プロ格闘家時代
TATSUJIに限らずプロの格闘家は、人気を獲得し、多くのファイトマネーを手にするようにならない限りは、格闘技一本で生活していく事が難しい。それ故、アルバイトをしたり、ジムで指導者をするなどしながら格闘家として活動する人が多い中で(所英男の項も参照のこと)、TATSUJIはギャンブルで生計を立てていた(本人曰く、「ちんたらバイトして金貯めるのもめんどくさかったんで・・・」)。
2005年12月18日に格闘技団体「R.I.S.E.」が主催する「FULLCAST PRESENTS DEAD OR ALIVE TOURNAMENT '05」に参加。一回戦で我龍真吾を3R判定0-3で下し、続く準決勝で水谷秀樹からダウンを奪い3R判定3-0で下すと、決勝戦で白虎をわずか1R2:11でKOし優勝した。この優勝により、K-1参戦の可能性が見えてくる。
2006年9月4日、「K-1 WORLD MAX 世界王者対抗戦」でマイク・ザンビディスと互角に渡り合うも惜しくも判定負け。
2007年4月4日、「K-1 WORLD MAX 2007 世界最終予選」でアルバート・クラウスと対戦。世界の強豪選手であるクラウスから判定勝利を収めた。が、この判定に関しては不満の声が多数あり本人達も納得していない。
[編集] 戦績
- アマチュアボクシング: 70戦 ?勝 ?KO ?RSC ?敗 ?分
- プロキックボクシング: 14戦 12勝 5KO 2敗
[編集] 獲得タイトル
- FULLCAST PRESENTS DEAD OR ALIVE TOURNAMENT '05 優勝
- K-1 WORLD MAX 日本代表決定トーナメント 2006 準優勝
- K-1 WORLD MAX 日本代表決定トーナメント 2007 準優勝
カテゴリ: 1981年生 | 日本のキックボクサー | 福岡県出身の人物