アルバート・クラウス
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基本情報 | |
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本名 | アルバート・クラウス |
あだ名 | ザ・ハリケーン |
階級 | スーパーミドル級 |
国籍 | オランダ |
誕生日 | 1980年8月3日 |
出身地 | オランダ |
命日 | |
死地 | |
スタイル | キックボクシング |
プロキックボクシング戦績 | |
総試合数 | 46 |
勝ち | 36 |
KO勝ち | 22 |
敗け | 7 |
引き分け | 3 |
無効試合 | 0 |
アルバート・"ザ・ハリケーン"・クラウス(Albert Kraus、1980年8月3日 - )はオランダ出身のキックボクサーでK-1 WORLD MAXの初代王者。試合入場時のガウン、パンツなどは独特のものがある。
目次 |
[編集] 来歴
- 2003年9月27日にスーパーリーグの興行で、フランスのモウッサ・コナテを2R終了時TKOで下す。
[編集] 戦績
プロキックボクシング:46戦36勝22KO7敗3分
K-1戦績
- 2002年5月11日、シェイン・チャップマン、魔裟斗を判定で破る。決勝でガオラン・カウイチットをKOで下し、K-1 WORLD MAX初代王者に輝く
- 2002年10月11日、魔裟斗と再戦するも5Rドロー
- 2003年3月1日、マイク・ザンビディスにKO負け
- 2003年7月5日、アンディ・サワー、ドゥエイン・ラドウィックをKO。決勝で魔裟斗と対戦するも、2R左フックでKOされ王座陥落
- 2003年11月18日、須藤元気に判定勝ち
- 2004年2月24日、大野崇にKO勝ち
- 2004年4月7日、ジャダンバ・ナラントンガラグと対戦し、延長判定勝ち
- 2004年7月7日、1回戦でシャミール・ガイダルベコフに判定勝ちするも、準決勝で王者魔裟斗に判定負け
- 2004年10月13日、小比類巻貴之にダウンを奪われ判定負け
- 2005年2月23日、ブアカーオ・ポー.プラムックに判定勝ち
- 2005年5月4日、ヴァージル・カラコダに判定勝ち
- 2005年7月20日、ジョン・ウェイン・パーに勝利するも、準決勝でブアカーオ・ポー.プラムックに敗れる
- 2005年10月12日、大東旭にKO勝ち
- 2006年4月5日、アリ・グンヤーに判定勝ち
- 2006年6月30日、ドラゴにダウンを奪われ判定負け
- 2006年9月4日、佐藤嘉洋に判定勝ち
- 2007年2月5日、ムラッド・ディレッキーにKO負け
- 2007年4月4日、TATSUJIに疑惑の判定負け
[編集] ファイトスタイル
元々のバックボーンはボクシング。K-1ではそのボクシングで鍛えたパンチを武器に活躍している。2002~2003年あたりまで、パンチに偏ったスタイルだったが、後にキックを猛練習。バランスのよいファイターになった。しかし彼はアゴへのパンチに非常に弱い。魔裟斗、ムラット・ディレッキーなどにパンチでKOされている。
唯一、魔裟斗、ブアカーオ・ポー.プラムック、アンディ・サワーという歴代王者からダウンを奪い、勝利しているファイターである。しかし最近では、全盛期(2002年~2003年)あたりの頃よりKO数が極端に減り始めている。2002~2003は9戦7勝2敗(4KO)、2004~2007は14戦9勝5敗(2KO)。判定負けなどの時も、その試合にダウンを奪われていることも多い。
試合中にグローブの手首の辺りを鼻に近づける癖がある。
[編集] 獲得タイトル
- W.P.K.C. ベネルクス 王者
- F.I.M.A.C. オランダ 王者
- I.K.B.F. ヨーロッパ 王者
- W.K.A. 世界ムエタイスーパーミドル級 王座
- K-1 WORLD GP 2002 世界地区予選 オランダ大会 優勝
- K-1 WORLD MAX 2002 世界一決定トーナメント 優勝