高鐵山孝之進
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
高鐵山 孝之進(こうてつやま こうのしん 1942年7月9日 - 1996年4月14日)は、大相撲の元関脇力士。北海道小樽市出身、朝日山部屋所属、本名は菅孝之進(すが こうのしん)。身長178cm、体重129kg、得意手は押し、左四つ、寄りであった。
1957年3月場所初土俵。翌場所新序にあがり、好成績をあげたので、9月場所にいきなり序二段に昇進し初めて番付についた。1963年1月場所に新十両、朝日山部屋再興の期待を担った。同年9月場所に新入幕、一時期は十両との往復が続いたが、親方が死去して大鳴戸部屋と合同してからは、若二瀬唯之という同年の好敵手を得て、両者競い合って幕内上位で活躍した。1966年11月場所、12勝3敗で技能賞を受賞、翌1967年1月場所に関脇に昇進したが、三役は結局この場所のみであり小結経験は無い。これは戦後では追風海英飛人と並ぶ珍記録である(現役力士では北勝力英樹がこのケースに該当し、元横綱佐田の山も小結経験が無いまま横綱に昇進した)。
1975年1月場所限りで引退、年寄大鳴戸を襲名して独立、部屋を経営して実業団相撲の英才板井圭介を小結に維新力浩司を十両に育てたが、板井の廃業後連帯保証人となった借金からまもなく部屋の力士を桐山部屋に譲って、自らも協会を離れた。
その後、『八百長』という本を出版し、北の富士勝昭の八百長ぶりと、女癖の悪さを告発したが、まもなく急死。一時期怪死ともうわさされた。
[編集] 主な成績
[編集] 関連項目
![]() |
この「高鐵山孝之進」は、相撲に関連した書きかけ項目です。 記事を加筆・訂正してくださる協力者を求めています。(スポーツポータル/相撲プロジェクト) |
カテゴリ: 北海道出身の大相撲力士 | 1942年生 | 1996年没 | 相撲に関するスタブ