鵜殿長持
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鵜殿 長持(うどの ながもち、永正10年(1513年) - 永禄5年(1562年)?)は、今川氏の家臣。鵜殿長照の父。通称、藤太郎。長門守。娘は徳川家康の側室となった西郡局(蓮葉院。養女との説もあり)。
三河宝飯郡の上郷城主で、今川義元の妹婿に当たる。1560年の桶狭間の戦いでは織田信長方の大高城を落城させるという武功を挙げた。しかし、本隊で義元が信長に討たれると、三河の自領に逃げ帰っている。その後も義元の縁戚であったことから、三河における今川氏の家臣として忠誠を尽くしたが、周辺に在った鵜殿の分家は岡崎の家康に与する事となり、今川方の最前線で孤立していった。
永禄5年(1562年)には家康の攻撃を受けて上郷城は陥落。子の長照と共に戦死してしまったのである(1557年没という説もある)。