鶴姫 (徳川家)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
鶴姫(つるひめ、延宝5年3月7日(1677年4月8日) - 宝永元年4月12日(1704年5月15日))は、徳川綱吉の長女。母は小谷正元の娘瑞春院。紀伊藩主・徳川綱教の妻。3代将軍・家光と側室・桂昌院の孫。4代将軍・家綱と甲府藩主・綱重は伯父。6代将軍・家宣は従兄弟。
1681年に紀伊藩嫡子の徳川綱教と縁組し、1685年に婚姻。1683年に徳川綱吉の世継ぎであった弟の徳松が死去した後、次期将軍として将軍の姫を娶っていた紀州家の綱教が有力候補になった。しかし、鶴姫が疱瘡のため死去し、さらにその翌年に綱教も亡くなったため、紀州家からの将軍は綱教の弟・徳川吉宗まで待たなければならなくなった。
法名は明信院殿澄誉恵鑑光燿大姉。墓所は東京都港区の増上寺。
[編集] 鶴字法度
1688年2月1日、綱吉は溺愛するあまり、「鶴字法度」を出し、「鶴」の文字と紋の使用を禁止している。これにより、井原西鶴は一時期名を「西鵬」と改号している。また、京菓子の老舗・駿河屋は、この法令によって屋号を「鶴屋」から現在のものに改めた。