鹿児島夫婦殺し事件
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鹿児島夫婦殺し事件(かごしまふうふごろしじけん)とは、1969年1月15日に鹿児島県鹿屋市下高隈町で発生した殺人事件とそれによって生じた冤罪事件のこと。本事件は、冤罪の被害を被った男性が国家賠償訴訟をおこしたことに特徴がある。事件が起こった地名から高隈事件(たかくまじけん)とも呼ばれる。
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[編集] 事件の概略
事件は1969年1月15日に鹿児島県鹿屋市下高隈町の農家の夫婦(事件当時、夫は38歳、妻は39歳)が殺害された。1月18日に事件が発覚。事件から3ヶ月後、被害者らの知人であった舩迫清が犯人と疑われ、詐欺の別件逮捕。その後、警察による長期間の身柄拘束の末に犯行を自白。夫婦両名に対する殺人罪(併合罪)で起訴された。
[編集] 裁判の経過
第一審・控訴審において両殺人罪の成立が認められ、懲役12年(求刑は懲役15年)の有罪判決が出た。 最高裁判所(最判昭和57・1・28刑集36巻1号67頁)が法令違反及び重大な事実誤認を理由に判決を破棄し、第二審の福岡高等裁判所に差戻し。1986年4月に、判決差戻審判において無罪判決。同年の5月に確定した。福岡高裁は、「別件逮捕、拘置中の取り調べは任意捜査の限度を超え、自白調書に証拠能力がない。アリバイも成立する」との判断を下した。
[編集] 国家賠償訴訟
舩迫氏はその後、総額6100万円の国家賠償訴訟を東京地方裁判所に起こした(後に鹿児島地方裁判所に移送)。 1993年4月19日に、第一審で鹿児島県と国に対して約3900万円の支払いを命じた。 福岡高裁宮崎支部は1997年3月に、国と県の控訴を棄却し、支払いが確定。 しかし、冤罪の嫌疑を受けた男性は1995年3月にすでに死亡していた。
[編集] 余談
- 近時、司法研修所では前期修習においてこの事件の記録を元に刑事弁護修習を行っているため、若手法曹人には有名な事件である。