おはようテレビ朝日
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おはようテレビ朝日(おはようテレビあさひ)は、テレビ朝日で1981年3月30日から1985年9月27日までにかけて放送された朝の情報系番組である。放送時間は平日の07:15~08:30(JST)。
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[編集] 番組概要
それまで子供向けのアニメの再放送などでお茶を濁していたテレビ朝日が、系列局である朝日放送が既に放送していた『おはよう朝日です』を範に取り、本格的に朝の生番組に乗り出した試金石的な番組。後に同局朝の顔とまで言われるようになった吉澤一彦アナウンサーにとって、実質デビュー番組であると言われている。
番組内での時刻表示はデジタル液晶をかたどったフォントで、秒単位まで表示していた。
[編集] 主なコーナー
- やじうま新聞
- 朝刊各紙の紹介。今現在も続く『やじうま』番組の走り。
- 交通情報
- 首都圏の道路情報を中心に、電話やヘリコプター中継などを駆使した詳細な情報を放送。
- ウィークアングル
- 旅をはじめとしたタウン情報コーナー。
- 築地HOT情報
- 築地市場から毎朝生中継を行い、お買い得な生鮮食品の情報を紹介。番組のステッカーが貼られた鮮魚店では、その日紹介された鮮魚が他店より安く買える特典があった。
- ヘリコプター生中継
- 放送開始時間から終了時間まで随時放送(後述)。
[編集] ヘリコプター生中継
- この番組の大きな特徴だったのは、毎朝ヘリコプターからの生中継。番組ではヘリコプターを『おはよう号』として、首都圏各地からの上空リポートで、朝の風景はもちろんのこと、緊急の事件や事故などの情報を生で伝えていた。中でも道路事故などの情報では威力を発揮し、現場だけでなくその事故の影響による渋滞情報なども伝えていた。リポーターは脇坂京子、えもりえりこ(ともにフリーアナウンサー)が交替で担当した。
- また、この番組があることで『おはよう号』の待機するヘリポートには、早朝から整備士やパイロット、カメラマンが常駐。従って事件・事故の発生時には即、離陸し、現場上空からの映像を送り出すことが可能になった。1982年2月の東京・羽田沖の日航機墜落事故の時には、事故発生時刻が放送終了時間の直後ということもあり、放送を終えたばかりのスタッフが現場上空に急行し、他局よりも早く、この番組に続く08:30からの生放送『モーニングショー』(現在、同時間帯で『スーパーモーニング』として放送時刻を変更して放送されている。)の中で、現場からの映像を届けることができた。今現在も同時間帯で続く『やじうまプラス』でもヘリコプターからの中継回数は多く、主に季節の話題を紹介している。
[編集] 歴代の司会
- 1981.04 - 1982.03 大野しげひさ、押阪忍、吉澤一彦、古舘伊知郎、坪内純子、中川由美子、南美希子
- 1982.04 - 1983.03 広川太一郎、吉澤一彦、古川柳子
- 1983.04 - 1984.03 広川太一郎、吉澤一彦、迫文代
- 1984.04 - 1984.09 広川太一郎、吉澤一彦、迫文代、辻義就≪現:辻よしなり≫、宮嶋泰子
- 1984.10 - 1985.09 広川太一郎、三遊亭楽太郎、吉澤一彦、迫文代、辻義就≪現:辻よしなり≫、小林一枝、山口容子、頼近美津子