さきたま古墳群
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さきたま古墳群(さきたまこふんぐん)は、埼玉県行田市にある、9基の大型古墳からなる古墳群である。
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[編集] 概要
5世紀から7世紀にかけて、北関東を支配した豪族が作ったと考えられている。古墳群は、9基の大型古墳の周りに陪臣の小型古墳があり、円墳35基、方墳1基からなる。しかし、昭和初期に周囲の沼地の干拓で取り壊されてしまった。
昭和13年(1938年)8月8日に国の史跡に指定された。現在は、さきたま風土記の丘という公園として整備され、古墳のほかに移築民家(旧遠藤家、旧山崎家)、博物館、はにわの館(実際に埴輪を作ることができる)などがある。
[編集] 主な古墳
- 稲荷山古墳 - 金錯銘鉄剣が出土。
- 丸墓山古墳 - 日本最大の円墳。
- 二子山古墳 - 武蔵国最大の前方後円墳。
- 将軍山古墳 - 後円部に横穴式石室の内部が見学できる展示館が設置。
- 愛宕山古墳
- 瓦塚古墳
- 奥の山古墳
- 鉄砲山古墳
- 中の山古墳
鉄砲山古墳の東には浅間塚古墳があり、さきたま古墳群に含まれるケースがある。
[編集] その他の古墳
- 1号墳(天王山古墳(てんのうやまこふん)) - 円墳。
- 頂上部に八坂社と神木杉があったが、明治41年に合祀とともに伐採。古墳公園として整備される以前は宅地であった。
- 2号墳(梅塚古墳) - 円墳。麿塚古墳(まろづかこふん)とも。
- 明治初期には大きな白梅があったが明治11年の冬に暴風によって倒れ、枯失。
- 3号墳 - 円墳。
- 4号墳 - 円墳。
2~4号墳は大芝生広場に植え込みとして残っている。
- 5号墳 - 円墳。
- 6号墳(ボッチ山古墳) - 円墳。
- 直径13メートル、高さ2メートル。水鳥埴輪出土地。
- 7号墳 - 円墳。
[編集] 消失した古墳
風土記の丘として整備される以前は一帯が田畑であり、古墳はまったく整備されず野ざらしであった。そのため多くが明治末から昭和にかけて田畑や埋め立て用土として開拓された。
- 戸場口山古墳 - 方墳。大正7年に消滅。
- 山宮古墳(さんぐうこふん) - 円墳。
- 将軍山古墳と二子山古墳の中間にあった。明治39年に開拓。
- 天祥寺裏古墳 - 円墳。
- 大人古墳(うしこふん) - 高さ3メートル程の前方後円墳。
このほかにも稲荷山古墳の東側、渡柳地区の西側などに小円墳が存在していたが、いずれも開拓され消失した。
[編集] さきたま火祭り
毎年5月4日に、さきたま古墳群内の大芝生広場で行われる。
「火祭り」という名は古事記に由来するものである。
- 古事記によれば、ニニギの命がコノハナサクヤ姫と婚姻。ニニギノミコトに一夜の交わりで身ごもったのを疑われたコノハナサクヤ姫は、疑いを晴らすために産屋に火を放ち、その中でホデリ(海幸彦)とホオリ(山幸彦)を生んだとある。
明るいうちは郷土芸能や物産展、フリーマーケット等のイベントが執り行われる。暗くなると、古代衣装を身につけた人々が松明を掲げ、産屋炎上、丸墓山古墳と稲荷山古墳の御神火下りが行われる。
2000年5月5日に「21世紀に残したい・埼玉ふるさと自慢100選」に指定。
[編集] 関連項目
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