アイネスフウジン
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性別 | 牡 |
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毛色 | 黒鹿毛 |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1987年4月10日 |
死没 | 2004年4月5日 |
父 | シーホーク |
母 | テスコパール |
生産 | 中村幸蔵 |
生国 | 日本(北海道浦河町) |
馬主 | 小林正明 |
調教師 | 加藤修甫(美浦) |
競走成績 | 8戦4勝 |
獲得賞金 | 2億4440万9200円 |
アイネスフウジンは日本の競走馬である。東京優駿(日本ダービー)に勝つなど活躍し、種牡馬としてもファストフレンドを輩出した。主戦騎手は中野栄治(現・調教師)である。
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[編集] 戦績
1989年にデビューすると初勝利までに3戦を要したが、勝ち上がった後の朝日杯3歳ステークスでは5番人気ながら、1000m通過が56秒9というハイペースの中を先行して1976年の同レースでマルゼンスキーが記録した1分34秒4のレコードタイで勝利した。この年の最優秀3歳牡馬を受賞する。
明けて1990年、共同通信杯4歳ステークスに勝利するが、弥生賞は不良馬場でメジロライアンに敗れ、続くクラシック第一弾の皐月賞でも出遅れが響いてハクタイセイの2着に終わる。そして迎えた東京優駿(日本ダービー)、3番人気となったアイネスフウジンであったが、自ら前半3ハロンを35.7の速いタイムで逃げをうつ。皐月賞優勝馬ハクタイセイがこれを追いかけるが、絶妙のペースで逃げたアイネスフウジンは一度も先頭を譲ることなく最後の直線でハクタイセイは脱落、さらに中団から怒濤の勢いで追い込んできた1番人気メジロライアンに1馬身1/4の差をつけて東京優駿(日本ダービー)を2分25秒3のレースレコードで逃げ切った。なお、この東京優駿(日本ダービー)のレースレコードは、馬場改修工事が行われた14年後の2004年のキングカメハメハの勝利まで破られることはなかった。
このとき、東京競馬場に集まっていた19万6517人の観衆をあつめた。この入場者数は世界レコードであり、これ以降ダービーデーは入場規制が行われるようになった為、この記録を抜く可能性は現在のところはない。ウイニングランをしたアイネスフウジンと中野に対し賞賛の意味を込めて「ナカノ」コールの大合唱を行った(当時、中野は減量苦により、苦しい騎手生活を送っていたといわれる)。これ以降、しばしばGI競走で優勝した騎手に対して同様のコールが発生するようになった。もっともアイネスフウジンはレース終了直後に脚部に不安を発生させていて(実際に中野が脚を気にしているシーンがある)、クールダウンさせてからコースを引き上げたため、一層「勝者の凱旋」を演出するかのような感覚から「ナカノ」コールにつながった、と見る向きもある。
その後、アイネスフウジンは脚部不安が発生して引退。種牡馬入り後は産駒に恵まれず一度は種牡馬引退が検討されたが、2000年にファストフレンドが帝王賞、東京大賞典を勝ち、種牡馬生活を続行することになった。
2004年4月5日、宮城県鳴子町の斉藤牧場にて腸捻転のため急逝する。
[編集] 重賞勝利
- (GI)朝日杯3歳ステークス、東京優駿(日本ダービー)
- (GIII) 共同通信杯4歳ステークス
[編集] 表彰
- 1989年 JRA賞 最優秀3歳牡馬
- 1990年 JRA賞 最優秀4歳牡馬
[編集] 代表産駒
[編集] 血統表
アイネスフウジンの血統 (ダークロナルド系/Norseman4×4=12.50%) | |||
父
*シーホーク Sea Hawk 1963 芦毛 アイルランド |
Herbager 1956 鹿毛 |
Vandale | Plassy |
Vanille | |||
Flagette | Escamillo | ||
Fidgette | |||
Sea Nymph 1957 芦毛 |
Free Man | Norseman | |
Fantine | |||
Sea Spray | Ocean Swell | ||
Pontoon | |||
母
テスコパール 1976 栗毛 |
*テスコボーイ Tesco Boy 1963 黒鹿毛 |
Princely Gift | Nasrullah |
Blue Gem | |||
Suncourt | Hyperion | ||
Inquisition | |||
ムツミパール 1965 鹿毛 |
*モンタヴァル | Norseman | |
Ballynash | |||
マサリュウ | トサミドリ | ||
ユキツキ F-No.4-d |