アロハ航空
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アロハ航空 | ||
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IATA AQ |
ICAO AAH |
コールサイン Aloha |
設立日 | 1946年 (Trans-Pacific 航空として) | |
ハブ空港 | ホノルル国際空港 | |
マイレージサービス | AlohaPass | |
会員ラウンジ | Alii Club | |
保有機材数 | 23機 | |
目的地 | 11都市 | |
親会社 | Aloha Airgroup, Inc. | |
本拠地 | ハワイ州ホノルル市 | |
代表者 | David A. Banmiller (CEO) | |
ウエブ: http://www.alohaairlines.com |
アロハ航空( -こうくう、Aloha Airlines)はアメリカ合衆国ハワイ州ホノルル市に本部をおく航空会社である。ホノルル国際空港 (HNL)をハブ空港として、ハワイ島、マウイ島等のハワイ諸島との航空路や、米国本土アメリカの西海岸のサンフランシスコ、サクラメント、オレンジシティ等との間で広範囲に定期便サービスを運行している。B737型機を用いてホノルルとハワイ島等との間の多頻度のシャトル運航を行っている。また、いくつかの諸島内路線市場にもアロハ航空は協力航空会社w:Island Air(アイランドエアー)を利用してサービスを行っていて、ここのフリークエント・フライヤー・プログラム、アロハパスはユナイテッド航空のマイレッジプラス・プログラムのパートナーとなっている。
目次 |
[編集] コードデーター
- IATA航空会社コード:AQ
- ICAO航空会社コード:AAH
- コールサイン:Aloha
[編集] 歴史
アロハ航空は1946年7月26日のアロハフライデェー (Aloha Friday) の日に運行を開始した、ハワイアン航空と競合するよう出版業Ruddy Tonggによってチャーター便運行会社トランス・パシフィック航空 (Trans Pacific Airlines) として設立した。ここはすぐに "The Aloha Airline" とニックネームで呼ばれるようになった。定期便航空会社としての免許は1949年6月6日に交付された。
1958年に、不動産開発業 Hung Wo Ching はアロハ航空と改名された、この航空会社の権利を買収した。1987年に、彼はここを個人会社とし、Ing 及び Ching 一族の同族会社として存続させた。
アロハ航空は1969年にジェット機運行を始めた。ここは1983年に、フリークエント・フライヤー・プログラム、アロハパス (AlohaPass) を導入した。夜間の貨物便サービスは1985年10月に始まり太平洋横断サービスは2000年2月に始まった。
上昇する経費 (特に、航空機のリース交渉) 及び日本の景気後退 (w:economic recession) 、特にアメリカ同時多発テロ事件 (2001年9月11日) によって悪化し、2003年のSARSパニック、及び燃料費高騰で、2000年代初期に守りの体制へアロハ航空をおく事となった。2004年12月30日、アロハ航空は経費節減の試みの中でChapter 11 bankruptcy保護を申請し他のハワイにサービスしている航空会社との競争を存続させた。年金の終結を含む、未決定の新しい労働規約の是認は2005年12月15日によって承認見込みである。
最大の競争相手ハワイアン航空の合併は一度も成功せず、1970年、1988年、及び2001年の3回とも失敗に終わった。
[編集] 事故
1988年4月28日、マウイ島付近を飛行中のアロハ航空B737-200型機の屋根が飛行中に吹き飛ぶという異例の事故が起こった。この際に急な気圧の低下によって客室乗務員1名が機外に吸い出され死亡、64名が重軽傷を負った。しかし機体は墜落することなくマウイ島カフルイ空港へと緊急着陸した。中古機体であったこと[要出典]、短距離路線が多いことから離発着が頻繁であったこと、海からの潮風の影響で機体の腐食・劣化が進んでいたのが原因とみられている。1990年には『奇跡の243便(Miracle Landing)』というタイトルでアメリカCBSテレビがこれを忠実に(ただし、劇中ではアロハ航空の名前ではなく、架空の航空会社名となっている)実写でテレビ映画化している。
[編集] 使用機材
この航空会社の機材は以下の航空機で構成される (2006年3月現在):
- ボーイング737-200型機 9機
- ボーイング737型機 3機 (貨物機)
- ボーイング737-700型機 7機