イーストセントルイス
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イーストセントルイス(East St. Louis)は、アメリカ合衆国イリノイ州西部、セントクレア郡(St. Clair County)に位置する都市。ミズーリ州のセントルイスとはミシシッピ川をはさんで対岸に位置する。人口は31,542人(2000年国勢調査)で、1990年の40,850人から9,308人(22.8%)減少している。2005年の推計では29,843人と、さらに減少している。
イーストセントルイスはイリノイ州内で最も貧しい都市のひとつである。かつては蒸気船・鉄道・道路の交通の要衝としてセントルイスを支える都市であったが、産業の衰退と歴代市長の相次ぐ失政により失業が増加、人口が減り続け、治安が著しく悪化した。現在、イーストセントルイスの黒人人口率は97%を超え、市の総人口の約35%、18歳未満の約半数が貧困状態にある。市の全域にわたってスラム化が進行し、廃墟や空き地も目立つ。また、同市の犯罪発生率は全米最悪の水準である。
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[編集] 歴史
この地域の歴史はイリノイ州よりも古く、1790年にさかのぼることができる。その年、イーストセントルイスを抱えるセントクレア郡が創設された。セントクレア郡は当時ノースウェスト準州に存在していた2つの郡の1つであった。
19世紀に入ると対岸のセントルイスと並んで、蒸気船による水上交通の要衝として栄えた。やがて鉄道が敷かれると、イーストセントルイスは鉄道関連の産業や製鉄業で栄えた。1926年に国道66号線が開通すると、イーストセントルイスは黄金時代を迎えた。1930年代から1950年代にかけては、イーストセントルイスのダウンタウンにはレストランや劇場、ナイトクラブなどが建ち並んだ。1950年には、イーストセントルイスの人口は82,295人を数えた。
しかし、1950年を境に、イーストセントルイスは凋落への道をたどることになった。南部からの黒人の流入がピークに達したのもこの頃である。セントルイスの凋落に加えて、1951年に市長に当選したアルビン・フィールズ(Alvin Fields)の失政もあって市の負債は増加し、それに伴って資産税率も上がった。工場は次々と閉鎖し、犯罪が増加し、街にはギャングがあふれた。そこに1960年代後半の公民権運動による暴動が追い討ちをかけた。1971年には初の黒人市長としてジェームス・ウィリアムス(James Williams)が当選するが、市の凋落を止めることはできなかった。1978年に当選したカール・オフィサー(Carl Officer)は市の状態をさらに悪化させた。下水道の敷設は失敗に終わり、ゴミの収集は給与不払いにより行われなくなった。警察のパトロールも滞った。市民は市を相手取って訴訟を起こすほどであった。1991年にはゴードン・ブッシュ(Gordon Bush)が市長に当選した。誘致されたカジノ・クイーン(Casino Queen)は、イーストセントルイスにとってはおよそ30年ぶりの税収源であった。しかし、人口は全盛期に比較して半分以下にまで減少し、今もなお減り続けている。ダウンタウンの美しかった歴史的建造物も朽ち、廃墟と化し、やがては無くなろうとしている。
[編集] 地理
イーストセントルイスは、北緯38度36分56秒西経90度7分40秒(38.615550, -90.127825)に位置している。セントルイスはミシシッピ川をはさんだ対岸に位置する。
アメリカ合衆国統計局によると、イーストセントルイス市は総面積37.4km²(14.4mi²)である。このうち36.4km²(14.1mi²)が陸地で1.0km²(0.4mi²)が水域である。総面積の2.56%が水域となっている。
イーストセントルイスの気候は温暖な夏と寒い冬に特徴付けられる。1954年7月14日、イーストセントルイスの気温は摂氏48度(華氏117度)を記録した。これはイリノイ州の観測史上最高気温である。
[編集] 名所
- ゲートウェイ・ガイザー(Gateway Geyser) - 対岸のセントルイスのゲートウェイ・アーチと対をなすように設計された噴水。世界一高い噴水で、高さ192m(630フィート)まで噴き上がる。
- カジノ・クイーン(Casino Queen) - ミシシッピ川の河岸に位置するカジノつきのホテル。川越しにセントルイスのダウンタウンを望むことができる。メトロリンク(後述)のイースト・リバーフロント駅に隣接している。
[編集] 交通
セントルイスの近郊電車であるメトロリンク(Metrolink)は、イーストセントルイス市内に以下の4駅を有している。
- イースト・リバーフロント(East Riverfront)
- フィフス・アンド・ミズーリ(5th and Missouri)
- エマーソン・パーク(Emerson Park)
- JJKセンター(JJK Center)
メトロリンクはセントルイスのダウンタウンやワシントン大学を通り、ランバート・セントルイス国際空港へと通じている。
市内ではI-55、I-64、I-70の3本の州間高速道路が交わる。これらの高速道路はイーストセントルイスで1本の道となり、ミシシッピ川を渡ってセントルイスへと通じている。
[編集] 犯罪
イーストセントルイス市の犯罪発生率は全米最悪の水準である。2005年の連邦捜査局のデータによると、イーストセントルイスの殺人発生率は人口10万人あたり63.4件を記録し、ゲーリー(56.4件)、ニューオーリンズ(54.5件、2004年、ハリケーン・カトリーナの影響により2005年のデータ無し)、リッチモンド(42.5件)、ボルチモア(41.3件)、カムデン(41.3件)、デトロイト(37.2件)、ワシントンD.C.(34.1件)といった殺人で悪名の高い都市における発生率をしのぐ。また、強姦発生率は人口10万人あたり300件を超える。
以下は、モーガン・クイットノー社の「全米の危険な都市」ランキングにおいて集計対象となっている6犯罪について、イーストセントルイス、セントルイス、およびニューヨークでの発生率を比較した対照表である。なお、ニューヨークの犯罪発生率は全米の平均程度であり、ここでは対照として載せてある。
犯罪名 | イーストセントルイス | セントルイス | ニューヨーク |
殺人 | 63.4 | 37.6 | 6.7 |
強姦 | 342.4 | 79.3 | 17.6 |
強盗 | 954.3 | 851.5 | 308.7 |
傷害 | 6,489.8 | 1,421.9 | 349.0 |
夜盗 | 2,520.4 | 2,071.6 | 289.8 |
自動車窃盗 | 2,000.5 | 2,339.5 | 229.5 |
[編集] 人口動勢
基礎データ
- 人口: 31,542人
- 世帯数: 11,178世帯
- 家族数: 7,668家族
- 人口密度: 866.2人/km²(2,242.9人/mi²)
- 住居数: 12,899軒
- 住居密度: 354.2軒/km²(917.2軒/mi²)
人種別人口構成
- 白人: 1.23%
- アフリカン・アメリカン: 97.74%
- ネイティブ・アメリカン: 0.19%
- アジア人: 0.08%
- 太平洋諸島系: 0.03%
- その他の人種: 0.19%
- 混血: 0.55%
- ヒスパニック・ラテン系: 0.73%
年齢別人口構成
- 18歳未満: 32.8%
- 18-24歳: 9.7%
- 25-44歳: 24.6%
- 45-64歳: 20.3%
- 65歳以上: 12.5%
- 年齢の中央値: 31歳
- 性比(女性100人あたりの男性の人口)
- 総人口: 81.5
- 18歳以上: 72.5
世帯と家族(対世帯数)
- 18歳未満の子供がいる: 33.2%
- 結婚・同居している夫婦: 21.9%
- 未婚・離婚・死別女性が世帯主: 40.6%
- 非家族世帯: 31.4%
- 単身世帯: 27.8%
- 65歳以上の老人1人暮らし: 10.4%
- 平均構成人数
- 世帯: 2.80人
- 家族: 3.42人
収入と家計
- 収入の中央値
- 世帯: 21,324米ドル
- 家族: 24,567米ドル
- 性別
- 男性: 27,864米ドル
- 女性: 21,850米ドル
- 人口1人あたり収入: 11,169米ドル
- 貧困線以下
- 対人口: 35.1%
- 対家族数: 31.8%
- 18歳未満: 48.6%
- 65歳以上: 25.2%
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
- en:East St. Louis, Illinois 4/4/2006 2:10 (UTC)
- en:St. Clair County, Illinois 3/23/2006 18:38 (UTC)
[編集] 外部リンク
- The IBEX Archive: ESLARP's Social History Project(英語版) - イーストセントルイスに関する史料を集めたサイト
- IDOT Servey - イーストセントルイスの歴史
- City-Data.com - East St. Louis, Illinois(英語版)
- Built St. Louis(英語版) - イーストセントルイスの写真集
- Casino Queen(英語版)
- East St Louis, IL(Yahoo!Map地図)