エマニュエル・シャブリエ
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アレクシ=エマニュエル・シャブリエ(Alexis-Emmanuel Chabrier, 1841年1月18日 - 1894年9月13日)はフランスの作曲家。狂詩曲『スペイン』の作曲者としてよく知られる。
目次 |
[編集] 略歴
オーヴェルニュ地方のアンベール生まれ。幼い頃からピアノや作曲に興味を示し、とくにピアノの腕前は天才といわれるほどであった。しかし、父親の強い勧めによってパリで法律を学び、内務省に就職した。シャブリエは公務員生活を送る傍ら、フォーレやダンディら作曲家と親交を持ち、独学で作曲の勉強をつづけた。マネ、モネ、セザンヌら画家とも親しく、絵画の収集もしていたという。
1880年、ミュンヘンにおいて、ワーグナーの楽劇『トリスタンとイゾルデ』を観たことで、音楽の道に専念することを決意したという。『トリスタンとイゾルデ』の動機を使った作品として、1886年にアンドレ・メサジェとの共作による4手のためのピアノ曲『ミュンヘンの思い出』が残されている。メサジェには、フォーレと共作した『バイロイトの思い出』(こちらは『ニーベルングの指環』を扱っている)という同趣向の作品もある。シャブリエは39歳で内務省を退職し、作曲家としての活動を本格的に開始した。
[編集] 狂詩曲『スペイン』
1882年、妻とともに4ヶ月間スペインに滞在し、このときの印象をもとに作曲したのが狂詩曲『スペイン』である。6分ほどの短い曲だが、沸き立つようなリズムと歌、輝かしいオーケストレーションに彩られ、初演時から熱狂的に迎えられた。現在も演奏会の重要なレパートリーとなっている。また、スペインを題材にした管弦楽曲としては、ドビュッシーの『イベリア』、ラヴェルの『スペイン狂詩曲』、『ボレロ』などの先駆ともなっている。
[編集] シャブリエの音楽の特徴
シャブリエは53歳で没したが、前半生はサラリーマンであり、作曲家としての活動期間は14年と短く、発表された作品数は限られている。ポピュラー名曲ともいえる狂詩曲『スペイン』をはじめとした管弦楽作品やオペレッタなどの作品があり、いずれも独特のリズムに加え、闊達さとユーモアを感じさせる。しかし、シャブリエの本領が最も発揮された分野は、ピアノ音楽と考えられている。その和声は大胆で、音楽史的にもフォーレとともに、次世代のドビュッシー、ラヴェルへの橋渡しの役割を果たしている。
[編集] 主要作品
[編集] オペラ作品
- 喜歌劇『星』(1877年)
- 歌劇『グヴァンドリーヌ』(1885年)
- 喜歌劇『いやいやながらの王様』(1887年)
[編集] 管弦楽・協奏的作品
- 狂詩曲『スペイン』(1883年)
- 楽しい行進曲(原曲はピアノ独奏曲、1888年)
- 田園組曲(原曲はピアノ独奏曲、1880年)
- ラルゲット(独奏ホルンと管弦楽のための協奏的作品、1875年)
[編集] ピアノ曲
- 即興曲(1860年)
- 絵画的小曲集(全10曲、1881年)
- 3つのロマンティックなワルツ(1883年)
- ハバネラ(1885年)
- 気まぐれなブーレ(1891年)
- 5つの小品(1891年、遺作)
- 音楽帳の一頁
[編集] 合唱曲
- 音楽への頌歌(女声合唱、1890年)
[編集] 歌曲
- 6つの歌曲(1889年)
[編集] 外部リンク
- Galerie des Compositeurs 作曲家ギャラリ
- IMSLP - International Music Score Library Project のエマニュエル・シャブリエ・ページ。