カモフラージュ
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カモフラージュまたはカムフラージュ(フランス語:camouflage)とは、周囲の風景に溶け込むことにより、敵の監視を欺き、対象を発見されないようにする方法のことである。カモフラージュの対象には、艦船・航空機を始めとする兵器・兵士のほか、建造物まであげられる。なお、camouflageは、フランス語では「カムフラージュ」または「キャムフラージュ」(パリ方言)、英語では「カマフラージュ」と発音するため、「カモフラージュ」は日本語発音である。
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[編集] 目的
カモフラージュの目的は、大きく二つある。一つ目は、敵から発見されないようにすること、二つ目は敵に大きさ・速力・進行方向などを誤認させ、敵の砲爆撃を命中させなくすることにある。前者は主に地上部隊・航空機や建物の際に考慮され、後者は艦船の際に考慮される。
[編集] 歴史
カモフラージュの起源は、現在でも各地の先住民が用いている(もちろんファッションや呪術的意味もあるが)ボディ・ペインティングかもしれない。ただし、近代までの軍隊の塗装は、「隠れる」以前に「目立つ」事が重要であった。視覚的手段しか識別法が無い時代、敵味方の識別や自軍の強さを誇示するために、軍旗や鎧兜には目だつ塗装や姿形が求められた。近代において初めて迷彩的効果を採用したのはイギリス軍が1848年にペシャワールでの戦いで、現地の色彩に合わせたカーキ色の軍服を用いたのが始まりだといわれている。ペルシャ語ではカーキは「土埃を被った茶色」を意味した。しかしながら、本格的にデザインされた迷彩模様を採用したのは第一次世界大戦中のフランス軍であったといわれている。当時は画家やデザイナーなどがその模様を考案するにあたって起用されたといわれている。その後フランス軍以外でも航空機による偵察力の向上、兵器の破壊力の向上に伴い、カモフラージュの重要性が増し、特に第二次世界大戦以降は各国の軍で一般的に取り入れられるようになった。
[編集] 迷彩塗装
カモフラージュの方法は、多彩であるが最も多用され、古くから用いられているのが、迷彩塗装である。軍服に用いられている場合は迷彩服と言う。地上部隊の場合には、当地の植生・気象条件に合わせた数色のまだらや斑点・縞模様を用いる。具体的には、雪原地帯では白や薄い灰色または白一色、熱帯雨林では、濃緑・濃紺・茶色などである。低空における飛行が主任務となる軍用機も同様な迷彩を行う。
[編集] 陸軍におけるカモフラージュ
第一次世界大戦開戦当初は、派手な色の軍服を使用していた軍もあったものの、大戦中に各国ともカーキ色などの目立たない色の軍服を使用するようになった。現在のような迷彩服を初めて使用したのは、第二次世界大戦中のドイツの武装親衛隊である。カモフラージュのためには、現地の植物をくくりつけたネットを被せたりすることもよく行われる。ただし、ただの塗装やネットのみでは、現代の温度差を感知できる赤外線カメラによって、簡単に見破られてしまうため、服・ネットとも赤外線をも欺瞞できるものが主流となっている。
[編集] 軍用車輌のカモフラージュ
第二次世界大戦で戦車を有効活用したナチス・ドイツでは、開戦時はダークグレーが基本塗装色となっていたが、北アフリカ戦線において迷彩色として用いられたサンドイエローがヨーロッパ戦線においても有効である事が示され、後期には基本色がダークイエローに変更された経緯がある。更に前線で上に2色を重ねた3色迷彩が施され、また冬季の降雪時には上から石灰の水溶液などを塗りつけた冬季迷彩が施された。アメリカ軍はベトナム戦争時期までオリーブドラブ単色だったが、1970年代にサンドブラウンを基本にした4色迷彩を採用した。しかしコストや標準化の都合により、80年代にはNATO軍と同じ3色迷彩に切り換えている。湾岸戦争・イラク戦争では現地に合わせたサンド系の塗装が施された。
[編集] 建物のカモフラージュ
建物のカモフラージュは、地下に隠すことのできない建物を空襲から守ることが主目的となる。有名な例では、第二次世界大戦中にシアトル近郊にあったボーイング社の工場が、上空から見ると住宅街にしか見えないようにされたことがある。一方のドイツではもっと大掛かりに、入江の形をごまかして港に投下される爆弾をそらすようにした例もある。
[編集] 艦船におけるカモフラージュ
艦船におけるカモフラージュは陸上や航空機の「見えにくくする」ものではなく、敵に大きさ・速力・進行方向や艦までの距離などを誤認させることが主目的となる。これは海上においては隠れることが困難なためである。 艦船のカモフラージュの始まりは、19世紀末ごろから行われた。艦全体を灰色に塗装、背景との区別を困難にし、艦までの距離測定を欺瞞した。また、巡洋艦や戦艦といったサイズが異なる艦艇の艦影を近い形にすることにより、距離を誤認させようとされたこともある。 第一次大戦中にドイツの潜水艦による被害が増大すると、帯状の迷彩や波頭の迷彩が行われるようになった。 第二次大戦では空母にも迷彩塗装が施されている。空母は空から見るとその形ですぐに艦種が判明してしまうが、幾何学模様の迷彩を施すことで、船として発見されてもどんな船だかを判別できなくするという、輪郭線の欺瞞が期待できるからである。
[編集] 航空機におけるカモフラージュ
航空機におけるカモフラージュは、ベトナム戦争のころから発達する。それまでは、無塗装や派手な塗装の機体が多かった。ベトナム戦争では、目視範囲での戦闘が多かっため、アメリカ軍において派手な塗装の機体の損害が無視できないものであった。そのため、低空における任務が主である攻撃機などには、上から見た時に地上に溶け込むような地上部隊と同様の迷彩塗装が、高空における制空任務が主である戦闘機にはなるべく近くまで見つからないようにする灰色系統の低視認性(ロービジ)塗装が行われるようになった。
[編集] 自衛隊におけるカモフラージュ
陸上自衛隊では迷彩模様は威圧感や戦争色をイメージさせるためかオリーブドラブ(OD)が用いられることが多かったが、昭和後期には作業服(戦闘服)にも迷彩が用いられるようになった。しかしながら、北海道の笹藪を元にデザインされたといわれる迷彩パターンは一部地域を除き、近距離では非常に目立つものであった。特にベース色の薄緑色部分は洗濯をするうちに水色のような発色をするようになり、敵に察知されやすいと不評であった。そのため平成期になり、新型の迷彩パターンが研究されるようになり、1992年には迷彩II型(通称、新型迷彩)の作業服の支給が始まる。新型迷彩はデジタル迷彩と呼ばれるもののパターンを採用しており、日本の様々な山野の風景をコンピュータ処理し、日本の気候風土に合った迷彩パターンをドット化してデザインしたものである。現在はこの新型迷彩への移行が完了し、旧迷彩を見かけることはほとんどなくなった。2004年度からのイラクのサマーワへの自衛隊派遣では各国が砂漠地帯用の迷彩パターンを採用した被服を用いる中、日本の自衛隊は平和復興の駐留であることを強調するため、あえてこの緑色の迷彩パターンの被服を採用し、車輌もOD塗装のままで派遣されたといわれる。
なお、航空自衛隊では、野外で活動することの多い高射部隊等において、陸上自衛隊のものとは異なる迷彩服が使用されている。細かいドットの集合である陸自の新型迷彩に対し、空自の迷彩は大柄で茶色がかったパターンである。これは遠距離からの視認性低下を重視したからと言われている。
[編集] カモフラージュの今後
特にレーダーに対するカモフラージュとして、ステルス技術の採用が進められている。また、目の錯覚や心理面をも応用したカモフラージュの研究も盛んである。
光学迷彩は現時点ではサイエンス・フィクション上の概念にすぎないが、研究が進められている。