ゲオルギウス
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ゲオルギウス(Georgius)は、キリスト教の聖人の一人。ゲオルギオス、ゲオルギイとも表記する。ドラゴン退治の伝説でも有名である。
古代ローマ末期の殉教者。イタリア語形ジョルジョ Giorgio, スペイン語ホルヘ Jorge, 英語形でジョージ George, フランス語形はジョルジュ Georges, ドイツ語形ではゲオルク Georgともなる。ゲオルギウスはラテン語名で、原形のギリシア語形ゲオルギオス Georgiosの語義は「大地で働く人」、即ち「農夫」を意味する。
イングランド、グルジアやモスクワの守護聖人で、西方では十四救難聖人の一人に数えられる。生地はカッパドキアとする伝説が一般的だが、リュッダ(Lydda)とする伝説もある。彼は洋の東西を問わず、兵士・兵器工・旅行者・農民の守護聖人として愛されており、メロヴィング王朝の系図は、彼の子を祖としているぐらいである。
祝日は4月23日、竜の奇跡の記念日は10月27日。
彼の姿を描いた最古の絵は10世紀の東方のものとされているが、アルブレヒト・デューラー、ドナテッロ、ラファエロ・サンチョなど多くのルネサンス美術にも登場。彼の象徴は、赤色十字旗、竜であり、白馬にまたがる姿が多い。
イギリスでは19世紀以降、ソブリン金貨、クラウン銀貨に竜を退治するセントジョージの姿が描かれている。また、モスクワの市章に描かれている。
[編集] 竜の奇跡
伝説の成立は11世紀から12世紀頃といわれる。
カッパドキアのセルビオス(Selbios)王の首府ラシア(Lasia)付近に、毒気は振りまく、人には咬み付く、という巨大な悪竜がいた。人々は、毎日2匹づつの羊を生け贄にすることで、何とかその災厄から逃れることとなったのだが、それが通用するのはそんなに長い時間のことではなかった。羊を全て捧げてしまった人々は、とうとう、人間を生け贄として差し出すこととなった。そのくじに当たったのは、偶然にも王様の娘であった。王は城中の宝石を差し出すことで逃れようとしたが、もちろんそんなもので誤魔化せるはずはなかった、かわりに8日間の猶予を得た。
そこにゲオルギウスが通りかかった。彼は毒竜の話を聞き「よし、私が助けてあげましょう」と出掛けていった。
ゲオルギウスは生贄の行列の先にたち、竜に対峙した。竜は毒の息を吐いてゲオルギウスを殺そうとしたが開いた口に槍を刺されて倒れた。ゲオルギウスは姫の帯を借り、それを竜の首に付けて犬か馬のように村まで連れてきてしまった。大騒ぎになったところで、ゲオルギウスは言い放った。
「キリスト教徒になると約束しなさい。そうしたら、この竜を殺してあげましょう」
こうして、異教の村はキリスト教の教えを受け入れた。
[編集] 殉教
ゲオルギウスはキリスト教を嫌う異教徒の王に捕らえられ、鞭打ち・刃のついた車輪での磔、煮えたぎった鉛での釜茹でなどの拷問を受けるが、神の加護によって無事であった。
王は異教の神殿でゲオルギウスに棄教を迫るが、ゲオルギウスの祈りによって神殿は倒壊する。しかも、王妃までもがゲオルギウスの信念に打たれキリスト教に改宗しようとしたため、自尊心を傷つけられた王は怒りに駆られた。
王妃は夫であった王の命令によりゲオルギウスの目の前で見せしめとして惨殺されるが、死の間際「私は洗礼を受けておりません。」と訴えた。ゲオルギウスが王妃の信仰の厚さを祝福し「妹よ、貴方が今流すその血が洗礼となるのです。」と答えると、天国を約束された王妃は満足げに息を引き取ったと言う。
ゲオルギウス本人も斬首され、殉教者となった。
[編集] 関連項目
- ドラゴン
- イングランドの国旗 - 「セント・ジョージ・クロス(聖ゲオルギウスの十字)」
- シェントユル・プリ・ツェリュ - 市の紋章が聖ゲオルギウス
- サン・ジョルディの日
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