ジョー・マクギニティ
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ジョー・マクギニティ(Joseph Jerome "Joe" McGinnity, 1871年3月19日 - 1929年11月14日)は、1900年代のアメリカ・メジャーリーグの野球選手。主なポジションは投手。イリノイ州ロックアイランド生まれ。右投げ右打ち。"Iron Man"(鉄人)のニックネームを持つ。メジャーリーグ実働12年で5度の最多勝利を獲得、マイナーリーグを含むと500勝近くを挙げた。
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[編集] 略歴
- メジャーデビューは1899年、彼が28歳の時で、いきなり28勝を挙げリーグ最多勝投手になった。しかし同年、所属していたボルチモア球団が消滅、翌年ブルックリンに移り、デビューから2年連続の最多勝投手となる。
- 現ヤンキースの前身であるボルチモア球団を経て、1902年にはニューヨーク・ジャイアンツに所属。翌1903年から1907年まで、登板試合数は5年続けてリーグ最多、投球回も5年続けて300イニングスを超えるなどかなりの登板をこなす一方で、1903年と1904年には30勝以上を上げ再びリーグ最多勝をマーク、1905年にはワールドシリーズ出場も果たした。ワールドシリーズは17回を投げ自責点はゼロながら、1勝1敗の成績だった。彼は持ち前のタフな肩で、よくダブルヘッダーに続けて登板することがあった。1903年には、「ダブルヘッダー2連勝」を6度、うち3度はわずか1ヶ月の中で達成し、ファンから「鉄人」と呼ばれるようになった。
- メジャーリーグには1908年まで12年在籍し、その後はマイナーリーグで54歳まで投げ続けた。マイナーでも相変わらずダブルヘッダーを続けて投げることがあり、マイナーリーグではダブルヘッダー2連勝を、44歳の時にやってのけたことがある。1929年にニューヨーク州ブルックリンで、58歳で死去。
- 1946年ベテランス委員会によりアメリカ野球殿堂入り選手に選出された。
[編集] 所属球団
- ボルチモア・オリオールズ(ナショナルリーグ) (1899年)
- ブルックリン・スパーバス (1900年)
- ボルチモア・オリオールズ (1901,1902年)
- ニューヨーク・ジャイアンツ (1902-1908年)
[編集] 通算成績
[編集] 投手成績
[編集] 獲得タイトル・記録
- 最多勝利:5回 (1899,1900,1903,1904,1906年)
- 最優秀防御率:1903年 (1.61)
- ワールドシリーズ出場:1905年
- シーズン勝利数:35(1904年:20世紀以降歴代5位)
[編集] 打撃成績
- 通算成績:477試合、1297打数251安打、本塁打0、打点90、打率.194
[編集] エピソード
- マクギニティが「鉄人」と言われるようになった由来は、元々彼がオフシーズンの間工場で働いていたからで、それがいつからか彼自身のタフな投球を指すようになっていったという。
[編集] 出典・外部リンク
カテゴリ: アメリカ合衆国の野球選手 | 1871年生 | 1929年没 | 野球選手に関するスタブ