スズキ・エスクード
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スズキ・エスクード(Suzuki Escudo)は、スズキから発売されているSUV型自動車。1988年に登場し、ライトクロカンというジャンルを築きあげた車である。
海外では国によって多少異なるが、初代がビターラ(Vitara)、2代目以降がグランドビターラ(Grand Vitara)の名称で販売されていることが多い。
このクラスのSUVは、乗用車感覚で使われることが多いが、エスクードは一貫して強固なラダーフレームを採用している。これは悪路走破性を向上させるためである。ライバル車のモノコックフレームと比較して本格的と見るか、割り切りの悪さと捉えるかは、人それぞれである。 2005年フルモデルチェンジの3代目でモノコックボディーに、頑丈なラダーフレームを溶接・一体化した「ビルトインラダーフレーム構造」を採用。
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[編集] 歴史
[編集] 初代(1988-1997年)
1988年発売当時、SUVのほぼ空白地帯であった1600ccクラスにスズキが満を持して投入したモデル。当初は3ドアハードトップだけの構成であったが、直線を基調とした斬新なデザイン、泥臭さを感じさせない乗用車感覚の内装が相まって大ヒットした。このモデルが存在しなければ、ホンダのCR-VもトヨタのRAV4も存在していなかったかも知れないとさえ言われている。
その後、投入された5ドア車は「ノマド」と名付けられ、これもまたヒットしている。
1994年のマイナーチェンジの際には、内装が従来の角張ったものから丸みを帯びたものとなり、2000ccV6エンジンと2000cc直4ディーゼルターボを積むモデルを追加した。これらのモデルではフレームとトレッドが拡大され、オーバーフェンダーの装着により全幅は広がり、前後のバンパーの大型化により全長も長くなったが室内の広さは以前と変わっていない。ディーゼルエンジンはスズキの内製ではなく、マツダから供給を受けている。またその見返りに、マツダヘプロシードレバンテとしてOEM供給を開始した。
また当時スズキがゼネラルモーターズの傘下企業であったことにより、北米市場では「ジオ」、「アスナ」、「GMC」などを通じてOEM供給されていた。
1995年には、エスクードを種車にアメリカ市場を狙った2シーターの派生モデルX-90が発売された。オフロード版のユーノス・ロードスターといった趣きであったが、商業的には失敗で日本国内では完全に珍車扱いされ、北米市場を含めて売れ行きは本家のエスクードと比べて散々なものであった。
1996年には、2500ccV6エンジンモデルが追加発売。2000ccエンジンはV6から直4となる。また、この時からノマドの名称が消滅し3ドア、5ドアという呼称となった。
[編集] 2代目(1997年-2005年)
初代のコンセプトを引き継いで1997年にモデルチェンジして誕生。当初のラインナップは1600cc、2000cc、2500cc、2000ccディーゼルと初代のラインナップをほぼ引き継いでいたが、2500ccと2000ccディーゼルは5ドアのみとなり、コンバーチブルは国内向けモデルからは消えた。 引き続きマツダへのOEM供給も行われたが、トリビュートの発売を機に2000年に終了する。 なお、アメリカ市場向けに2700ccに排気量を拡大、車体を延長して3列目のシートを追加し7人乗りとしたグランドエスクードが、2000年に派生モデルとして登場している。
[編集] 3代目(2005年-)
2005年5月16日に8年ぶりのフルモデルチェンジで3代目に。ラダーフレームからモノコックフレーム(ただしラダー構造はシャシー下部に埋め込まれる形で残されており、スズキではこれを「ビルトインラダーフレーム」と呼称している)、パートタイム4WDからフルタイム4WDと、根本から変更となるが、HI-LO切り替えの副変速機は健在。グランドエスクードは消滅し、エンジンは2000ccと2700ccの2種類で、5ドアのみとなる。同クラス他車種のほとんどはATのみのラインナップであるのに対して2000ccのグレードだけではあるがMTを残している. 現行機種でサンルーフ付きで税込み220万円という価格は、極めてコストパーフォマンスが優れているといえる。
2006年6月12日、新グレード「1.6XC」発売開始。輸出向けのみ設定されていた3ドア車が日本市場に再投入された。これは欧州モデルをベースにしていると思われ、エンジンは1600cc (プレミアムガソリン仕様)、変速機は5速MTのみで、価格は176万4000円。ただし、5ドアモデルには装着されている副変速機がなぜか1.6XCには装着されていない。
[編集] パイクスピーク
「雲に向かうレース」とも称されるパイクスピーク・インターナショナル・ヒルクライムに出走するためのスペシャルマシンが存在し、1994年から出走。ドライバーにはモンスターの異名を持つ田嶋伸博が起用され、また優秀で経験豊富なエンジニアとして、エスクードより前に製作されたスズキ・カルタスの時代に世界でも類を見ないツイン・エンジンレイアウトを実現させており、その能力はこのエスクードにも遺憾なく発揮されている。
1994年から参戦を始めたエスクード・パイクスピーク仕様の全てに共通することは、エスクードのデザインの面影を多少残しているものの、あくまで名前を借りている程度のことに過ぎず、エンジンのみならずフレームそのものを全て一から設計、製作された、ワンオフのレーシングカーということである。エントリークラスは、改造範囲無制限、安全さえ保障されればほとんどなんでもありのアンリミテッド・ディビジョンにのっとっている。パイクスピークの地理的特性として、山頂4000m以上の高地で行われるために酸素が薄く、登頂するほどパワーダウンの傾向が強くなるので、このクラスのエンジン出力はあらかじめ非常に高く設定されている。エスクードも例外ではなく、参戦当初から800馬力のハイパワーを誇っている。
1995年にはこのエスクードを駆る田嶋が、天候不良のためゴール地点の標高が引き下げられ、コースが短縮されたことが好影響したことなどもあり、見事総合優勝を遂げている。
また2006年には、5年ぶりにパイクスピークに参戦した田嶋が、1995年同様に天候不順のためコースが短縮された中で再び総合優勝を飾った。このマシンはツインエンジン仕様ではないが、搭載されるV6ツインターボエンジンの出力は940馬力(公称値)と言われ、相変わらずのハイパワーを誇る。
ちなみにこのエスクードのパイクスピーク仕様は、プレイステーション・プレイステーション2用のゲーム『グランツーリスモ』シリーズにも登場する(シリーズによって登場する年式は異なる)。
[編集] パリ・ダカール・ラリー
エスクードもプライベーターでパリ・ダカへの参戦実績がある。
神奈川県綾瀬市にあるスズキ・ジムニーやエスクードのショップ「アピオ」を経営する尾上茂氏が1997年から2005年までパリダカに参戦、3回完走している。