スタニスラフ・ネイガウス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
![]() |
クラシック音楽 |
---|
作曲家 |
ア-カ-サ-タ-ナ |
ハ-マ-ヤ-ラ-ワ |
音楽史 |
古代 - 中世 |
ルネサンス - バロック |
古典派 - ロマン派 |
近代 - 現代 |
楽器 |
鍵盤楽器 - 弦楽器 |
木管楽器 - 金管楽器 |
打楽器 - 声楽 |
一覧 |
作曲家 - 曲名 |
指揮者 - 演奏家 |
オーケストラ - 室内楽団 |
音楽理論/用語 |
音楽理論 - 演奏記号 |
演奏形態 |
器楽 - 声楽 |
宗教音楽 |
メタ |
ポータル - プロジェクト |
カテゴリ |
スタニスラフ・ゲンリホヴィチ・ネイガウス(Станислав Генрихович Нейгауз, Stanislav Genrikhovich Neuhaus 1927年-1980年)はロシアのピアニスト。ゲンリッヒ・ネイガウス(ゲンリフ・ネイガウス)(以下G・ネイガウス)の息子である。以下S・ネイガウスと称する。(Нейгаузはラテン文字ではNeygauz, Nejgauz, Neygausなどとも表記される)
彼は後年身内が次々に他界し大変寂しい生活を送ったらしい。それまではお決まりの場所、ボリス・パステルナークの家等で賑やかな交際があったと思われる。 晩年はパステルナーク家で過ごし、52歳で黄泉の国へ旅立った。原因は不明とされており、自殺とも言われる。 父親とも仲が良かったと見える。 愛称「スターシク」で生涯聴衆から愛された。
目次 |
[編集] 演奏の特徴
基本的にネイガウス親子に共通して伺えた点は、特に録音がライブでの物が多いという事を考慮しても、互いに両者とも激しい、という事の一点に尽きる。
S.ネイガウスの演奏を聴いたナターリヤ・ジミャーニナによれば 「彼は時折すべてをなげうつ献身的な演奏を見せ、頂点に向かって恐ろしい勢いでかけ上がろうとする。しかし、そのツケが回って健康を害し、まるで一歩一歩、自分から死に近づいているようだった。」 という程のものである。 彼が早死にした所以もここにあるかもしれない。
S・ネイガウスはG・ネイガウスの演奏をもっと優しく清流な響きにした感じだろう。両者共楽譜に忠実であり特にテンポの設定に関して厳格な態度を有しており、テンポルバートに関しても誇張した使用は極力避けている。つまり解釈に関して妙な事は殆ど皆無に等しい。 それだけにあのヴェーラ・ゴルノスターエヴァが「これ以上自然に音楽が鳴る事は無い」と G・ネイガウスの演奏に対して言われたこの言葉はS・ネイガウスにも当てはまると言えるだろう。 また彼らには音色と響きの面で多大な特色があり、その独特な特色に関しては誰も敵わないと言える。
演奏会が終わった後に「あちこちうまくいかなかった」と不満げそうに愚痴をこぼす事がしょっちゅうあったらしい。 そう言うのも無理は無い。 なぜなら彼も彼の父も真に芸術に対して真摯な態度を貫き通したからである。
[編集] 録音
ショパンではソナタ2・3とバラード全曲、舟歌、ワルツ3、5、8、12番、スケルツォ2番、幻想曲、マズルカ数曲、ノクターン5番、8番、ポロネーズ2番、エチュード「エオリアンハープ」「大洋」、幻想ポロネーズ。 ソナタ3番は当時ネイガウスの右に出るものはいないと言われていた。 ソナタ2番は実に逞しさを感じる出来である。終楽章が終わった直後に「ブラボー!」と入っているが 気持ちは分かる。 幻想ポロネーズもソフロニツキーが「これはネイガウスのための曲だ」と言うほどの事はある。 G・ネイガウスは「パン・タデウシュ」と結び付けて解釈していた。 バラードは全曲素晴らしいが4番は生涯愛し続けた一曲であろう。 尚バラードに関しては4番が3種類程録音があり、他は各2種類録音がある。 2番は1971年の演奏では実に凄まじき演奏であった。 舟歌もスタジオ録音と最後のリサイタルでの録音があるが どちらも至高の出来と言える。 ノクターン8番では「この世で最も繊細な左手の持ち主」と評されるほどに美しい。
リストは巡礼の年から数曲、ペトラルカのソネット123番は忘れられない一曲だ。 葬送曲では左手のトランペットを思わせる音をこれでもかという程完璧に表している。
ベートーヴェンではソナタ27・31・32番等で、特に31番の出来は素晴らしい。 元々弱音使いのネイガウスだが31番の2楽章でのあの迫力は 果たして他の追随を許すだろうか!?
モーツァルトはソナタk545と有名な短調のしか弾いてないが、まあ型破りな演奏だろう。しかしスタジオ録音の演奏は比類無いと思われる。 それとG.ネイガウスとの共演した有名な2台のピアノのためのソナタは 聴いていて泣ける。 ちなみに親子の共演は頻繁に行われ毎回絶賛されたらしい。
アレンスキーの2台のピアノのための組曲第2番シルエットも録音が残っている。
スクリャービンはどのレパートリーも繊細さの面で鬼である。 前奏曲も練習曲も詩曲にしても 完全に掌中の珠である。 ソナタの演奏に関してはかなり技巧的面で厳格な態度で弾いている。 怯むこと無く前進する精悍さは彼の大きな特徴である。 これはショパンのソナタ、バラード等でも同じである。 彼はスクリャービンの初期の作品がショパンから派生したものとして評価していたが 後期の作品がスクリャービン本来の世界だとして高く評価していた。 スクリャービンに関しては若くして既にG・ネイガウスが認める程の出来であった。
ドビュッシーでは版画と前奏曲数曲。 版画の演奏は秀逸である。前奏曲もスクリャービンの後期作品と同様に 味のある雰囲気を醸し出している。
ラフマニノフでは前奏曲が印象的である。 特に作品23-4と23-5は最も溺愛していたらしい。 作品32-5もなんと暖かい事か。他にはスタジオ録音でのop23-3がとてもよい。 他にもop23-7とかもなかなか無い素晴らしい演奏。
シューマンはやはりクライスレリアーナなどが筆頭に上がるが 色とりどりの小品でも持ち味を遺憾なく発揮している。
プロコフィエフが意外になかなか鋼鉄な姿勢で、ソナタ8番も霊が乗り移った様に弾いており、悪魔的暗示はまさに悪魔の様な勢いであった。これらを聴けばネイガウスの隠された技術的凄まじさをちょっと認識できる。
シューベルトはソナタ13番と即興曲1番作品90-1である。 彼は晩年あたりシューベルトを好んでいたらしいが、実は若い頃からシューベルトに興味があったそうで なぜ録音が少ないかと言うと彼の義父ボリス・パステルナークがシューベルト嫌いのため 家で練習できる雰囲気ではなかったらしい。というわけでパステルナークが他界した後 彼はシューベルトに取り掛かり始めたという訳である。 録音は無いが「楽興の時」、リスト編曲の歌曲等をライブ演奏しており 中でも「糸を紡ぐグレートヒェン」がありえない美しさであったと絶賛されている。
[編集] 息子との関係
有名なスタニスラフ・ブーニンの父に当たるが、ブーニンとS・ネイガウスとの関係はどうも希薄な様だ。つまりS・ネイガウスは、ブーニンを生んだ後に妻のリュドミナ・ブーニナと口論した末に別れ、妻の方がブーニンを引き取った。故に直接S・ネイガウスからピアノは習っていないという事になる。故にブーニンはその後ゴリデンヴェイゼル派のピアニズムに属したのであり、ネイガウス系統には入らなかった。
ブーニンの祖父に当たるG・ネイガウスはブーニンが生まれる頃には他界しており、接触は無いと思われるが、S・ネイガウスの演奏はモスクワ音楽院ライブ等で直接聴いていた。ブーニンも母親から自分の父親が偉大なピアニストである事は聞かされていた。
[編集] 関連項目
- ゲンリフ・ネイガウス :S.ネイガウスの父
- ボリス・パステルナーク :S.ネイガウスの義父
- スタニスラフ・ブーニン :S.ネイガウスの息子
- カロル・シマノフスキ :G.ネイガウスの従兄弟