ストランド・マガジン
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ストランド・マガジン(The Strand Magazine)とは、1891年1月から1950年3月までの60年間、ジョージ・ニューンズ(George Newnes、1851年 - 1910年)により家族で愉しめるように一般大衆向けに創刊された英国の月刊誌。
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[編集] 略史
創刊当時、全てのページに挿絵を入れ、キャッチフレーズは『銀貨一枚6ペンスの値段で、中身は1シリング分の月刊誌(A monthly magazine costing six pence but worth a shilling)』であった。
ストランド・マガジンは戦時中の紙の配給制限を受け、雑誌のサイズ縮小などで対処するもコスト高となり、資金調達ができなくなり1950年に廃刊に至る。その後、半世紀を経て、ストランド・マガジンの名はストランド・ミステリー・マガジンに変更され世紀を越えてミステリー雑誌として出版が再開された。
[編集] 作家
[編集] コナン・ドイル
コナン・ドイルによるシャーロック・ホームズシリーズを初めて掲載した書籍として紹介される向きも多いが、1887年に第1作目の『緋色の研究(A Study in Scarlet)』、1890年に第2作目の『四つの署名(The Sign of Four)』を他の雑誌に掲載するもあまり評判にならず、ストランド・マガジンの1891年7月号にホームズ・シリーズの第3作目に当たる短篇『ボヘミアの醜聞(A Scandal in Bohemia)』が掲載されてから読者の支持を得るようになり、引き続き同誌から発表・連載されていく。最終的には1927年までの約35年の間に56作がシリーズとしてストランド・マガジンに掲載されドイルとホームズは不動の人気を得ることになる。
[編集] 多くの寄稿者
ドイル以外の寄稿者としては、科学系作家にして怪奇小説の生みの親であるグラント・アレン、ホームズ休載中に活躍した探偵マーチン・ヒューイットのアーサー・モリスン、探偵キャンピオン・シリーズのマージェリー・アリンガム、探偵フィリップ・トレントとユーモラスなイラストを描くニコラス・ベントリーを生んだE・C・ベントリー、エルキュール・ポアロを初めとして数多くの探偵を生んだアガサ・クリスティ、日本では童話『砂の妖精』で知られるイーディス・ネズビット、怪奇小説の傑作短篇を多く著したW・W・ジェーコブズ、『ジャングル・ブック』の作者にして詩人のラドヤード・キップリング、ピーター・デス・ブリードン・ウィムジー卿のドロシー・L・セイヤーズ、メグレ警視シリーズのジョルジュ・シムノン、超高層ビルに登る姿が印象に残るキング・コングの原作者のエドガー・ウォーレス、探偵マリナーのP・G・ウッドハウス、『アンナ・カレーニナ』や『戦争と平和』のレフ・トルストイ、SFの父とも呼ばれるH・G・ウェルズ、『月と六ペンス』のサマセット・モーム等々の19世紀を代表する小説家たちが揃っている他に、彼のウィンストン・チャーチルも名を連ねている。
[編集] 挿絵画家
ストランド・マガジンの人気を支えた功労者として、鳥打帽にコート、パイプを持つシャーロック・ホームズの容貌を決定付けた挿絵画家シドニー・パジェットの功績がある。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- Strand Mystery magazine(オフィシャル・サイト)