スポーツニッポン
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スポーツニッポン(スポニチ)は、株式会社スポーツニッポン新聞社の発行するスポーツ新聞である。同社は株式会社毎日新聞社の子会社。
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[編集] 概説
創刊当初は「スポーツ紙唯一の全国紙」をスローガンにしてスポーツ、芸能情報を積極的に提供してきた。現在では定番となった1面記事見出しのカラー化(赤見出し)や、即売版(駅売店など)の専用紙面である風俗記事の連載、最終面をニュース記事のページにする「ダブル1面」を初めて採用した。80年代の終わりから総合大衆紙を標榜し社会事件や政治報道などにも力を入れた。1995年にはオウム真理教による一連の事件報道などで、東京本社管内でスポーツ紙としては初めて実売100万部超を達成。95年4月から3カ月間、これを維持した。
2004年には東京本社、大阪本社及び西部本社が合併し、全国を1社でカバーする単一法人となった。東京を存続会社とし、07年4月から人事・賃金など諸制度を統一すべく労使間交渉が続けられている。また、合併を機にスケールメリットを追求しすべての取引制度を見直した結果、05年度決算は減収ながらも史上最高益を記録した。なお、総売上げにおける3本社の比率は東京6、大阪3、西部1の割合となっている。
またこれに併せて、題字ロゴを全国で統一した。(会社が統合される前にも旧題字を全国統一で使用していたが、2002年ごろから大阪・名古屋以外は現在使用している新題字、大阪・名古屋は旧題字をそのまま使用していた)。
発行所は札幌、東京、名古屋(総局)、大阪及び北九州。沖縄では、株式会社琉球新報社が「新報スポニチ」を発行している。
[編集] 沿革
- 1949年(昭和24)2月1日 - 大阪に於いて創刊。
- 1950年(昭和25)3月6日 - 東京支社を設置し、東京に於いて発刊。
- 1955年(昭和30)5月1日 - 西部支社を設置し、九州に於いて発刊。
- 1960年(昭和35)8月10日 - 東京支社が分社し、株式会社スポーツニッポン新聞東京本社設立。
- 1961年(昭和36)8月29日 - 西部支社が分社し、株式会社スポーツニッポン新聞西部本社設立。
- 1988年(昭和63)8月 - 東京本社の機能を江東区越中島の新社屋に移転。それまでは本社機能が千代田区一ツ橋の毎日新聞東京本社(パレスサイドビル内)、編集部門は港区芝にあったが、全機能を新社屋に集約した。
- 1990年(平成2)7月1日 - 株式会社琉球新報社が新報スポニチを発刊。
- 1993年(平成5)2月 - 大阪本社が北区西梅田(大阪駅前)の毎日新聞大阪本社に移転。それまでの北区(旧・大淀区)の旧社屋についてはその後スポニチとの等価交換によりマンションとして再整備された。
- 2004年(平成16)10月1日 - 株式会社スポーツニッポン新聞東京本社を存続会社として株式会社スポーツニッポン新聞大阪本社及び株式会社スポーツニッポン新聞西部本社を合併し、商号を株式会社スポーツニッポン新聞社に変更。
[編集] 発行所
- 東京本社 東京都江東区越中島(対象:東北、関東、甲信越、静岡県)
- 北海道支社 札幌市中央区北4条(対象:北海道)
- 大阪本社 大阪市北区梅田 毎日新聞大阪本社ビル(対象:近畿、中京、北陸、中国〈山口県、島根県西部除く〉、四国)
- 名古屋総局 名古屋市中村区名駅 毎日新聞中部本社ビル(※)
- 西部本社 北九州市小倉北区紺屋町 毎日西部会館(対象:九州〈沖縄県除く〉、山口県、島根県西部)
- 福岡総局 福岡市中央区天神 毎日福岡会館
- 琉球新報社(新報スポニチ) 那覇市天久(対象:沖縄県)
- (※)但し2003年から毎日新聞名古屋本社ビル建て替え工事中につき同じ中村区名駅の三井ビル北館に暫定移転している。
- 紙面(テレビ番組欄、公営競技面除く)は、近畿・中京・北陸・中国(山口県、島根県西部除く)、四国は大阪本社版のもの、それ以外は東京本社版のものを中心に編成している。また西部本社版の中央競馬面は大阪本社版を使用する。中央競馬面の馬柱は東京本社版は縦組み、大阪本社版はスポーツ新聞では唯一横組みとなっている。なお、沖縄県(新報スポニチ)に関しては番組欄、公営競技面など他の都道府県で掲載される紙面内容の一部は省略されており、ページ数も少ない。
- 一部売りの値段は、東日本(静岡県以東)と九州・山口県・島根県西部は130円、西日本(愛知県以西・広島県以東)は120円、沖縄県(新報スポニチ)は50円。
[編集] 毎日新聞社との関係について
- スポーツニッポンは毎日新聞の僚紙的位置付けとして創刊した。
戦後の混乱期、用紙難から当局は既存新聞社の増紙を認めない一方、新興新聞社には出来る限り用紙を割り当てる政策を採った。
既存新聞社はこの政策を逆手に取り、ダミー子会社を設立して新興紙を多く創刊した。毎日新聞系としては「東京日日新聞」(東京)「東海毎日新聞」(名古屋)「新大阪」「新関西」(大阪)「新九州」(門司)といった新聞があった。 - 一方で、毎日新聞大阪本社の有志がこの動きとは別にスポーツ振興を旗印としてスポーツ新聞の創刊を企画した。これがスポニチである。スポニチは毎日新聞社の後援はあったものの、上記毎日新聞のダミー子会社ではなく、比較的独自の発展を遂げた。
一方、ダミー子会社の発行する新聞は用紙規制緩和に伴う毎日本紙の増紙と夕刊発行復活で存在意義がなくなり、「東海毎日新聞」は廃刊(毎日の名古屋再進出に伴う事実上の本紙吸収)。「新大阪」は毎日から独立し、残る三紙は結局スポニチと合同する道を選んだ。 - 「東京日日新聞」は戦前存在した同名紙の復活といった触れ込みだったが、殆ど娯楽本位の内容となっていただけにスポニチの東京進出と入れ替わるように休刊。社屋はスポニチ東京本社になった。また、「新九州」もスポニチ西部本社の発足と入れ替わるように休刊した。
「新関西」はスポニチ大阪本社と経営統合を行い、「スポニチ夕刊・新関西」と改題。1970年代後半まで存続したが、経営難から休刊。スポニチ大阪本社の発行するスポニチ本紙の夕刊に切り替わった。
[編集] スポニチ夕刊(早版)
- この名残から現在も大阪本社版のみ、夕刊「スポニチ前夜速報版」を発行している。翌日の第6版(地方都市向け)を早版(=夕刊)として発売。公営競技のレース結果を掲載。対象地域は大阪市、京都市、神戸市とその周辺地域の駅売店。過去には日刊スポーツ、サンケイスポーツも大阪本社管内のみでスポニチ同様、早版の夕刊を発行していたが、現在は夕刊発行を日刊スポーツ、サンスポとも中止している(スポニチ夕刊が発行される時間に、産経新聞が九州地方と東海3県の一部向けの早版の朝刊を製作・発行している)なお、関東地方ではデイリースポーツが駅売店・コンビニ向けに夕刊を発行している。
[編集] 概要
前途のように、創刊当初は「スポーツ紙唯一の全国紙」をスローガンにしてスポーツ、芸能情報を積極的に提供してきた。現在では定番となった1面記事見出しのカラー化(赤見出し)や、即売版(駅売店など)の専用紙面である風俗記事の連載、最終面をニュース記事のページにする「ダブル1面」を初めて採用した。番組欄もほぼ幅広く1ページを使って広範囲の情報を掲載している。通常、アダルト面はスタンド売り用紙面で、宅配用はテレビ欄になるが、大阪、西部の2本社版はテレビ欄とアダルト面がそれぞれある。
[編集] 価格問題
全国の独立3社合併によって、発行地域による定価価格に差がある現状はいささか問題と言わざるを得ない。新聞は独占禁止法が禁じる再販価格維持制度の例外規定によって、小売定価の制定が認められている数少ない商品である。しかし原則は全国一律の一物一価。定価制定の理由である「遠隔地も都市部も同一価格で手に入れられるべき公共性」のためである。従来は3社がそれぞれ定価を決められたが現在は単一会社なので、本来は定価改定を行ってしかるべきなのだが行われていない。大阪管内では1部売りで他紙と10円の価格差となっていて価格競争力が強いとされている。このため大阪では定価問題は微妙な問題であろうことは容易に想像される。
[編集] その他
- 江東区越中島にある東京本社社屋は、同じ毎日系の新聞印刷会社「東日印刷」との共同所有。同ビルには東日印刷に印刷を委託している株式会社東京スポーツ新聞社も本社を置いている。
- 他のスポーツ紙と比較して紙が良質である。
- プロ野球では全国規模で地域密着の表看板を打ち出している。そのため日本の特定球団を応援をせず、比較的東京本社は西武ライオンズ、横浜ベイスターズ、大阪本社は阪神タイガース、広島版は広島東洋カープ、西部本社は福岡ソフトバンクホークス中心の記事が載る傾向が強い。
なお、毎日新聞社が毎日オリオンズ(現在の千葉ロッテマリーンズ)を保有していた頃は、オリオンズ色が強かった。このため、とりわけ大阪地区では販売に苦戦を強いられていたという。弊害としてはメジャーリーグを平和の象徴化のように理想化して賛美する色なども強く、そのMLB出身監督のボビー・バレンタインなどには異常なまでに御執心である。また、(親会社の意向か)何かを引き合いにしては読売ジャイアンツを非論理的な批判にさらすため、批判のために批判を欲する種類の人間からは記事の質を問わず人気が高い。 - 出版社の日本スポーツ出版社、日本スポーツ企画出版社と関係があるように誤解されやすいが、それらとの資本・人材関係は一切持っていない。
[編集] 疑義が持たれた報道
[編集] 競馬記事盗用(東京本社)
1996年10月から1997年3月にかけ、サンケイスポーツが発行している競馬専門紙「競馬エイト」に掲載されている調教コメントの大部分をスポニチ東京本社版の競馬面で無断引用していた。サンスポ側がいつも記事が似通っていることに不審を抱きスポニチ側に調査を申し入れていた。その結果、サンスポ側が各調教師に確認したところスポニチ側からは取材を受けていないことが判明。スポニチ側も記事の無断引用を認め、サンスポ側に全面謝罪しスポニチの紙面で謝罪文を掲載した(この謝罪文はサンスポでも取り上げられていた)。これにより、一部役員が責任を取って辞任したほか、TBS系で放送されている「ブロードキャスター」にレギュラー出演していた大隅記者も降板した。
(参考文献)『新版競馬歴史新聞』(競馬歴史新聞編集委員会編、日本文芸社、2004年)
[編集] 進藤晶子事件
2005年2月22日の朝刊一面で「進藤晶子、松嶋菜々子の実兄と結婚」と報じた。その記事に追従して夕刊フジ等他のマスコミも一斉にこの話題を取り上げた。しかし、スポニチの報道直後に進藤サイドから「結婚もなければ(松嶋の実兄に)会った事もない」と否定のコメントが出され、誤報であることが確定。スポニチはサイト上の記事を即座に削除し、後日訂正記事を掲載。この話題に乗っかった他のマスコミも、大慌てで記事の差し替えを余儀なくされた。
誤報のきっかけは、松嶋の実兄が進藤「に似た女性」と歩いていた所を目撃されたから、という説が有力だが真相は不明。
[編集] 「野村叩き」(大阪本社)
南海ホークス時代の鶴岡一人氏(監督辞任後スポニチ専属評論家だった)との確執に端を発する、大阪本社と野村の確執は、年を追う毎に他紙と比較しても異常な出稿量による野村批判となり、ついには自社の読者投稿欄や、阪神タイガース公式サイト掲示板の野村批判まで利用(当時かなり少数派だった野村批判の書き込みを「殺到」と表現)した記事内容と、過剰なまでの世論誘導が、「事実に反する内容で遺憾である」(当時の野崎球団社長)ことから、2001年7月、阪神タイガース球団より、取材禁止処置がとられる程に発展した。
同年シーズンオフの野村辞任により沈静化。
ちなみによく野村批判の引き合いに出される今岡誠については、2001年のシーズン後半に於いて今岡はレギュラー三塁手であった。過去野村は、本人の不振で今岡を2軍に落とした経緯があり、確執が全くなかったとは言えないが、いわゆる「野村は今岡を干した」という事実はなく、この一件は大阪本社が捏造した代表的な「通説」となっている
(実際今岡本人は2006年3月、阪神甲子園球場で行われた、阪神対楽天のオープン戦で、普通に元監督である野村に挨拶をしている)。
一方野村は、楽天の監督就任後もこの「通説」を巧みにネタにして、スポーツ紙等に話題を提供している。「野村対今岡」は今や野村の貴重な阪神話のネタと化している。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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