芸能
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芸能(げいのう)とは、芸術の諸ジャンルのうち、人間の身体をもって表現する技法のことである。職業として芸能に携わる者を芸能人と呼ぶ。
また、日本に古くからあった芸術と技能は特に伝統芸能を参照。
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[編集] 芸能の範囲
一般に演劇・舞踊・ポピュラー音楽・映画・大衆演芸・民俗芸能等が含まれる。古くは時と場所を限定した瞬時の演劇演奏によって表され、それが直ちに消滅するので瞬間芸術と呼ばれたが、近代には録音・録画の技術が発達し、これらによって表現された作品も芸能と呼ばれるようになった。
[編集] 芸能の歴史
[編集] 西洋芸能史
古代ギリシャの演劇が西洋における芸能の起源といえる。音楽においては、クラシック音楽(狭義には古典派の音楽を指すが、ここでは広義のクラシック音楽、すなわち芸術音楽を指す)の発祥の地であるため、芸能としての音楽すなわちポピュラー音楽はその陰に隠れた印象があるが、フランスのシャンソン、イタリアのカンツォーネ、そしてアメリカ合衆国のジャズは西洋で発展したポピュラー音楽である。
[編集] 東洋芸能史
「芸能」という言葉は元来は中国の言葉であるが、古くは学問や武芸など今日の芸能に含まれない分野も指していた。
[編集] 日本芸能史
[編集] 古代
日本の芸能は村々における神祭りの場を母胎とした。黎明期の芸能はシャーマニズム儀礼の形をとっていたと考えられている。大和朝廷は祭りの場の歌舞をいち早く芸能化し、猿女氏や物部氏がそれを行った。これが神楽のもととなったと考えられている。平安時代にはいると猿楽・田楽が行われるようになった。
[編集] 中世
鎌倉時代には猿楽・田楽が人気を集めたが、室町時代に入り猿楽が世阿弥らによって能と狂言に発展させられると、田楽は衰退し地方寺社の祭礼芸能として命脈をとどめることになった。
[編集] 近世
江戸時代には歌舞伎や浄瑠璃が人気を集める一方、大衆演芸として落語も人気を集めた。
[編集] 明治維新以降~第二次世界大戦前
文明開化によって映画や西洋の演劇が日本にも流入した。西洋の演劇のうち芸術性の強いものは新劇と呼ばれ、一方大衆性の強いものが新派劇や商業演劇となった。
[編集] 第二次世界大戦後
第二次世界大戦終結後、日本が米国によって占領され、音楽の分野においても西洋のポピュラー音楽が多く入ってきた。従来の日本のポピュラー音楽は演歌・歌謡曲が中心だったが、1950年代にはジャズ・シャンソンが、1960年代後半ザ・ビートルズが日本に来日公演したきっかけでグループサウンズが流行する。さらに1970年代前半にはフォークソングが、1970年代後半にはニューミュージック・ロック・フュージョン・シティ・ポップス等が日本人にも受け入れられることになった。
なお、1980年代後半以降の日本の芸能史については日本現代芸能史を参照。