ソンミの虐殺
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ソンミの虐殺(英:Son My massacre、My Lai Massacre)は、ベトナム戦争中の1968年3月16日、アメリカ軍兵士が非武装のベトナム民間人を虐殺した事件。ソンミの虐殺はベトナム反戦運動のシンボルとなり、また国外でも大きな批判の声が起こってアメリカ軍が支持を失うきっかけとなった。
1968年3月16日に、南ベトナムに展開するアメリカ陸軍のウィリアム・カリー中尉率いる部隊(第23歩兵師団第11軽歩兵旅団第20歩兵連隊第1大隊C中隊)が南ベトナム・中南沿海地方 クアンガイ省のソンミ村を襲撃し、無抵抗の村民504人を虐殺。当初は村民に対する虐殺ではなく「南ベトナム解放民族戦線のゲリラ部隊との戦い」という虚偽の報告がなされたが、翌年12月にアメリカの雑誌「ニューヨーカー」のセイモア・ハーシュ記者がこの事件を報じ、アメリカ軍の歴史に残る大虐殺事件が明らかになった。この大虐殺事件は、現場に居合わせた複数のアメリカ軍兵士から軍上層部に報告されていたものの、軍上層部は、世論を反戦の方向へ導く可能性が高いことなどから事件を隠蔽し続けた。
なお、1970年に開かれた軍事法廷でこの虐殺に関与した兵士14人が殺人罪で起訴されたものの、1971年3月29日に行われた判決においてカリー中尉に終身刑が言い渡されただけで、残りの13人は証拠不十分で無罪となった。また、カリー中尉自身もその後懲役10年に減刑された上、1974年3月には仮釈放されたため、この不可解な処置は世界中から大きな非難を浴びた。