タミル語
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タミル語 தமிழ் |
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話される国 | インド、スリランカ、シンガポール、マレーシア |
地域 | 南アジア、東南アジア |
話者数 | 約7,400万人 |
順位 | 18位 |
言語系統 | ドラヴィダ語族 南ドラヴィダ語 |
公的地位 | |
公用語 | インドの公用語の一つ、スリランカ,シンガポール |
統制機関 | - |
言語コード | |
ISO 639-1 | ta |
ISO 639-2 | tam |
ISO/DIS 639-3 | |
SIL |
タミル語(タミルご、தமிழ்)は、ドラヴィダ語族に属する言語で、元はインド南部のタミル人の言語である。同じドラヴィダ語族に属するマラヤーラム語ときわめて近い類縁関係の言語だが、前者がサンスクリットからの膨大な借用語を持つのに対しタミル語にはそれが(比較的)少ないため、主に語彙の面で隔離されており意思疎通は容易でない。インドのタミル・ナードゥ州の公用語であり、スリランカとシンガポールでは国の公用語の一つにもなっている。世界で18番目に多い7400万人の話者人口を持つ。1998年に大ヒットした映画『ムトゥ 踊るマハラジャ』で日本でも一躍注目された言語である。
「タミール語」と呼称・表記されることもあるが、タミル語は母音の長短を区別する言語であり、かつ Tamil の i は明白な短母音である。そのため、原語の発音に忠実にという原則からすれば明らかに誤った表記といえる。タミル(Tamil)という名称は、ドラミラ Dramila(ドラヴィダ Dravida)の変化した形である。
目次 |
[編集] 地域
南インドのタミル・ナードゥ州で主に話されるほか、ここから移住したスリランカ北部および東部、マレーシア、シンガポール、マダガスカル等にも少なくない話者人口が存在する。これらはいずれも、かつてインド半島南部に住んでいたタミル人が自ら海を渡ったり、あるいはインドを植民地化した英国人がプランテーションの働き手として、彼らを移住させた土地である。
[編集] 歴史
タミル語はドラヴィダ語族の中で書かれた言語としては最も古く、現在残る文献の最も古いものの起源は紀元前後までさかのぼるといわれる。
[編集] 文字
現代タミル語は、主として独自の文字であるタミル文字で表記される。詳しくはタミル文字の項目を参照のこと。
[編集] 発音
北インドの多くの言語が三母音(サンスクリット等で母音/半母音として扱われるrやlを除いて)を基礎としており、ヒンディー語等ではe、oが常に長母音として扱われる。それに対してタミル語の基本はa, i, u, e, oの五母音であり、それに長短の別と二重母音(aiとau)が加わることで計12の母音を区別することになる。
子音は有気音と無気音を区別しない他、有声音(日本語で言う濁音)と無声音(同じく清音または半濁音)の間の対立もない。ただ単語の先頭や同子音が重なった場合に無声音、単語の中途、同系の鼻音の後などに有声音で発音される傾向がある(これらの点は日本語の連濁と相似である)。
タミル語で特徴的なのは、日本語で「ラ行」にあたる音、英語を含む西洋語なら r や l の流音に相当する音に、五種の区別が存在することである。また日本語を母語とする者にとって習得が難しいとされるものに、反舌音(舌の先を硬口蓋まで反らせて発音する一連の子音)があるが、こちらは他のインド系言語にも共通する特徴である。
[編集] 文法
サンスクリットの影響を受けて古くから文法が記述されており、現在の正字法は詩論を含む文語文法書であり13世紀に書かれた『ナンヌール』などに基づいている。
語順は日本語と同様、基本的にはSOV型。OSV型となる場合もあるが、動詞に接辞をつけて文相当の意味を持たせる場合はSOVが基本。ただし、マラヤーラム語と同様に、主部だけが文末に来るOVS型も少なからず用いられる。倒置表現とされる場合もあるが、新聞等にも見られ、修辞技法として意図されていないことが明らかとなっている。
修飾語は被修飾語の前につく。
主(格)語はしばしば省略されるが、日本語のように文脈でわかるからというより、スペイン語などのように動詞に人称が示されるため、省略されるのである。コピュラ(英語のbe動詞、日本語の「だ」)は用いない。所有を表すには「私は・・・を持っている」でなく「私には・・・がある」と表現する。
複文を作るための関係詞はなく、日本語と同じく「水を-飲む-人」、「私が-見た-物」という順でつなげばよい。ただし、文芸作品ではサンスクリット語の影響を受けた関係節表現が見られる。たとえば、サンスクリット語の「यथा・・・तथा・・・」の構文に従い、「எப்படி・・・அப்படி・・・」と表現するような実例がある。
タミル語は他のドラヴィダ諸語と同じく膠着語であり、単語は語根にいくつかの接辞(ほとんどは接尾辞)を付加して作られている。接辞は単語の意味などに変化を加える派生接辞と、文法カテゴリ(人称、数、法、時制など)により変化する活用接辞とに分けられる。膠着の長さにはあまり制限はなく、例を挙げると、 pōkamuṭiyātavarkaḷukkāka (「行けない人々のために」という意味)は、
- pōka(行くこと)- muṭi(できる)- y(調音)- āta(否定)- var(人々)- kaḷ(複数)- ukku(ために)- āka(「ために」の強調)
と分析できる。
[編集] 品詞
名詞および代名詞は名詞クラス(印欧語の性のようなもの)により分類される。まず2つの超クラス(tiṇai)に分類され、さらに全部で5つのクラス(paal :「性」の意味)に分けられる。超クラスの1つは "rational" (uyartiṇai) で、人および神がここに含まれ、さらに男性単数・女性単数・複数(性によらない)に分けられる。複数形は単数に対する敬語としても用いられる。もう1つは "irrational" (aḵṟiṇai) で、その他の動物・物体・抽象名詞がここに含まれ、単数・複数(性によらない)に分けられる。このクラスにより代名詞が使い分けられるほか、主語のクラスによって動詞の接尾辞が変化する。
代名詞の前に動詞(「・・・する人」など)や形容詞(「よい人」など)を付加して複合名詞にする。この場合など、下の例(「・・・する人(物)」)のように、paal が接尾辞によって示される。
peyarccol (名詞) | ||||
uyartiṇai (rational) |
aḵṟiṇai (irrational) |
|||
āṇpāl 男性 |
peṇpāl 女性 |
palarpāl 複数の人 |
oṉṟaṉpāl 単数の物 |
palaviṉpāl 複数の物 |
例:タミル語「・・・した人(物)」 | ||||
ceytavaṉ した男 |
ceytavaḷ した女 |
ceytavar した人々 |
ceytatu した物(単数) |
ceytavai した物(複数) |
また格を表すのにも日本語の助詞に相当する接尾辞が用いられる。伝統的にはサンスクリットに倣って8格に分類される(が実際には複合的なものもあり、必ずしも8格に収まらない)。
また日本語の「こ・そ・あ・ど」にちょうど相当する4種の接頭辞i、a、u、e がある。vaḻi 「道」に対して、ivvaḻi 「この道」、avvaḻi 「あの道」、uvvaḻi 「その道」、 evvaḻi 「どの道」。ただし、uは古語および擬古体で用いられ、普通の現代語では用いられず、「その」はaにより代表される。
動詞は、人称、数、法、時制および態を示す接尾辞によって活用する。たとえば aḷkkappaṭṭukkoṇṭiruntēṉ 「私は滅ぼされんとしていた」は次のように分析される:
aḷi | kka | paṭṭu | koṇṭiru | nt | ēn | ||||||||||
動詞語根 滅ぼす |
不定詞マーカー 受動態の態マーカーへの接続形 |
態マーカー 受動態 |
態マーカー 過去進行 |
時制マーカー 過去 |
人称マーカー 一人称 単数 |
人称と数は代名詞の斜格(語幹)に接尾辞をつけた形で示される(例では ēn )。三人称はクラスにより変化する。さらに時制と態も接尾辞として示される。
態は補助動詞によって表現される。受動態のみならず、主動詞に対し進行などの動詞のアスペクトを表すことができる。
動詞には強変化と弱変化の対応する2種あるものがあり、おおよそ強変化は他動詞、弱変化は自動詞に対応する。たとえば、「aḷi」(強変化「滅ぼす」:aḷikka、弱変化「滅びる」:aḷiya)、「ceer」(強変化「集める」:ceerkka、弱変化「集まる」:ceera)など。 また、語幹が対応する一組の動詞で他動詞と自動詞に対応しているものもある。たとえば、「aaku」(成る)に対する「aakku」(作る←成す)、「aṭnku」(従う)に対する「aṭkku」(従える)など。
時制には過去・現在・未来があるが、古語では現在形が見られず、未来形により表現されていた。未来形という名称にもかかわらず、実際の文章では「~したものだった」という過去の習慣や、「~する」という現在の意味、「~するだろう」という推量の意味にも用いられ、未来の意味以外にも用法は広い。法は命令法、願望法のほか、話者の態度(事象やその結果に対する軽蔑、反発、心配、安心など)を示すことができる。
このほか、準動詞(動名詞や種々の分詞など)も動詞語幹に接尾辞をつけて作られる。
形容詞と副詞の区別はなく(uriccol という)、名詞を基本として接尾辞をつけて形容詞または副詞とするのが普通(独立の形容詞・副詞も一部ある)。ほかに接続詞(iṭaiccol )がある。
[編集] 他言語からの影響
タミル語はきわめて近縁のマラヤーラム語という言語を持っているが、両者は同一の言語の方言の関係にあるとは必ずしも言いがたい。それはマラヤーラム語は北インドのサンスクリット語、プラークリット、ヒンドゥスターニー語をはじめとするインド・アーリア語族の言語から語彙、文法面での絶大な影響を受けており、その他アラビア語、ペルシア語、ポルトガル語、英語などの語彙を借用しているため、両者の意思疎通が容易でないからである。 但しタミル語がドラヴィダ語族の諸語の中では最も上記の言語からの影響が少ない部類に入るとは言え、サンスクリットやヒンドゥスターニ語などからの借用語は少なからずある。
[編集] 日本語クレオールタミル語説
国語学者大野晋は、日本語の祖語が何らかの点で、ドラヴィダ語の祖語と関係を持つとする説を唱え、タミル語と日本語のそれぞれの単語等を比較して、両者に共通するものが多いことを、その論拠の一つとして挙げた。後に大野はこの説を修正し、日本語はドラヴィダ語の一つであるタミル語に由来し、日本語はクレオールタミル語であるとする説を唱えた。しかし大野のこの日本語起源説には賛否両論があり、未だに解決を見ていない。
- 日本語とタミル語との関係に着目していた大野晋は、1981年『日本語とタミル語』(新潮社)を出版し、本格的な研究を公表した。これに対し、比較言語学者の風間喜代三は1983年、『東京大学公開講座 ことば』(東京大学出版会)の「ことばの系統」の項目で、大野の研究手法に対し批判を行った。これにより比較言語学者やタミル語学者を始めとしたほとんどの言語専門家の間で、大野に対する批判的な姿勢が定着した。
- 大野晋はその『日本語の形成』(岩波書店 2000年)により、音韻、語彙、文法の三点において、日本語はタミル語と対応していることをより詳細に論じた。同書は、風間喜代三からの語彙対応に関する批判に対しては、摘示の語彙を削除もしくは変更することで対応している。同時に、これまでの系統論を破棄し、日本語はタミル語のクレオール語であるとするクレオールタミル語説を展開した。現在のところ他の言語学者は、この日本語がクレオールタミル語であるとの主張については、何の批判もできていない。
- 言語専門家の批判では、大野説の一番大きな欠点は、比較言語学の正統的方法に従っていないということである。特に、歴史性を捨象して時代の整合性にそぐわない単語比較を行っている点が問題である、とする。このため、比較言語学的見地からは、大野説は認められないことになる。
- しかしながら、日本語がクレオ-ルタミル語であるならば、それは厳密な意味での比較言語学の対象ではないといえる。なぜならクレオール語であるならば、タミル語と日本語との共通祖語を抽出する必要は無いからである。また、時代の整合性をいうならば、他の日本語起源説である、アルタイ語説・南島語説なども歴史性を捨象しており、時代の整合性があるのかどうかも全く不分明である。この点で、大野説に対する批判は、言語学者などによる「新説への排他的動機」が働いているという印象も拭えない。
- また、言語学者は、音韻の複合対応を問題にする。しかしながら、タミル語内部で、例えばa/i、a/u、k/v、v/p、v/mなどの交替がある。更には日本語においても「さびしい」と「さみしい」など唇音同士の交替、また「ほどろ」と「はだら」などの交替がある上に、原初の日本語の音韻などを保存していると見られる古代東国方言では「こころ」を「けけれ」と言うなど、活発な交替がみられる。したがって、両語間のこのような内部交替に影響され、タミル語と日本語との対応も、a/o交替が通常なところ、タミル語内部の交替に影響され、i/o対応、u/o対応が見られ、また子音においてもv/w、v/f対応が通常なところ、m/w対応、m/f対応、v/k対応などが頻繁に見られる。
- このように、タミル語と日本語との対応には複合対応が必然的に伴なうため、印欧比較言語学の手法の全てを正統的方法と見る立場から、タミル語と日本語との比較を見た場合、何らかの否定的見解に達してしまう。このような事実から我々が学べることは、西洋流の比較言語学は、必ずしも印欧語族以外の言語を比較対照とする場合には、その方法論は<いわゆる>正統的とは言えない場合もある可能性も否定できないということである。
- 例えば高津春繁も『比較言語学入門』(岩波文庫.1992年刊)において、既に印欧語族にもっともその条件が相似し、ほとんどそのまま印欧比較言語学の方法を取入れることを得たセム・ハム語族の研究においてすら、印欧語族の比較方法をそのまま用いることは無理であるごときことを述べている(p.9参照)。それゆえ、このような認識を受け入れない限り、あるいは日本語がクレオールタミル語であるという説は、仮にそれが正しい説であっても、永久に受け入れられないおそれもある。
- 以上のように大野説に対しては賛成・反対の様々な意見がある。比較言語学的には手法に問題があるが、他方、文化的な交流面でのドラヴィダ文化と日本の古代文化の連関を考察している大野の起源論には無視できない面もある。
- 例えば、『日本語の起源 新版』(岩波新書・1994年)で大野晋は、タミル文化圏から日本への文化移入に、理由不明の500年のタイムラグが伴っていることを示している(同書P.114)。後になって、従来の弥生時代の開始を定義付けていた放射年代測定の結果に対する解釈の混乱が見出され、日本の弥生時代の開始が500年遡る可能性が出てきた。それにより、大野説が主張していた農業・宗教祭祀・金属器とそれらに伴う言語・詩歌などの文化がタミルから日本列島へ伝えられていた可能性がある、という大野説との整合性が表れている。こうした事柄への反論も、現在のところまだ出ていない模様である。
- 2004年、大野晋はそれまでの研究の集成として『弥生文明と南インド』(岩波書店)を著した。言語のみならず総合的な文明の移入、朝鮮語を加えた三者の関連といった点を重点に論じた新たな著作となっている。
[編集] タミル映画と日本での認知
日本でも、一時期のアジア映画ブームの中で、インド映画が紹介された。そうしたマサラムービーの中でも特にタミル映画の『ムトゥ 踊るマハラジャ』など一連の作品がピックアップされたことなどから、昨今ではタミル語を学ぶ日本人も増えてきている。
[編集] 関連項目
[編集] 関連書籍
- 大野晋 『日本語とタミル語』(新潮社・1981年11月)
- 風間喜代三 「ことばの系統」(『東京大学公開講座 ことば』(東京大学出版会)所収・1983年7月)
- 大野晋 『日本語の起源 新版』(岩波新書・1994年6月)ISBN 4004303400
- 大野晋 『日本語の形成』(岩波書店・2000年6月)ISBN 4000017586
- 田中孝顕 『日本語の起源 日本語クレオールタミル語説の批判的検証を通した日本神話の研究』(きこ書房・2004年5月)ISBN 4877716130
- 大野晋 『弥生文明と南インド』(岩波書店・2004年11月)ISBN 4000023233
- 田中孝顕 『日本語の真実/タミル語で記紀、万葉集を読み解く』(幻冬舎・2006年7月)ISBN 4344011996
- 田中孝顕監修・バロー/エメノー著『オックスフォード・ドラヴィダ語語源辞典第2版日本語版』(きこ書房・2006年6月)ISBN 4877716157