バアス党
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バアス党(حزب البعث, Hizbul-Ba'ath ヒズブ=ル=バアス)は、シリア・イラクなどのアラブ諸国で活動する政党。日本では慣用としてバース党と表記するが、実際のアラビア語の発音では”バアス”と発音・表記する。
バアス(بعث)とはアラビア語で「復興」を意味し、アラブ社会主義・民族主義・汎アラブ主義を併せ持つ政治的主張を有している。イスラム原理主義(イスラーム主義)とは対立している。モットーは「団結・自由・社会主義」。
バアス党はアラブ・バアス社会主義党の一派であるが、ソ連型社会主義(スターリン主義)の影響は濃いものの、共産主義と距離を置いていた。アブドゥ・ル=カーリム・カーセムが1958年から1959年の間政権を握り共産党寄りになると、イラクのバアス党はこれに反発してクーデターをおこした。一方、シリアのバアス党は共産党大会に同席したり、連立するなど容共である。
バアス党の源流は20世紀の初頭にさかのぼることが出来、シリア人の思想家ミシェル・アフラクらによって基本的な政治信条が形成されていった。第1回の公式の党大会は1947年4月7日にダマスカスで開催、最初は軍の少壮将校や知識人など限られた層で成り立っていたが、次第に影響力を強め1954年~1958年にシリアを本拠にイラク・レバノン・ヨルダン・イエメンに支局を置いた。(カタールにも存在したが、同国政府により非合法化される)
[編集] イラク・バアス党
1963年2月のクーデターから2003年のイラク戦争の敗北でサッダーム・フセイン政権が倒れるまで独裁的な政権政党としての地位にあった。
1967年にアメリカと国交を断絶し、1972年にソ連と友好条約を締結、1970年代末にかけて一時ソ連との関係は好転する。
1984年にイラクはアメリカと国交を回復し、1988年に至るまでサッダーム・フセイン政権に総額297億ドルの兵器供給を行った。
2003年のアメリカの侵攻によりフセイン政権が崩壊し、それに伴いバアス党は政治的な権力を失った。イラクの武装勢力にはバアス党の流れを汲む者が多数参加しているといわれる。
殊に、首都バグダッドのハイファ通り等でその影響力は浸透しており、頻繁に米軍・イラク軍と大小の武力衝突が伝えられる。
また、非合法ながら在外指導部がフランスに存在し、欧州での資金工作や地下刊行物の発行を通じて国内の残党勢力を支援しているともされる。
[編集] その他のバアス党
シリアでは1963年3月8日のクーデターで実権を掌握して以来現在に至るまで独裁的な政権政党としての地位にある。同じバアス党を名乗り、同じ年に政権を握ったものの、両国の主導権争いや、シリアでの権力闘争に敗れたミシェル・アフラクをイラクが保護したことのしこりなどもあり、イラクとシリアの同党は対立関係にあった。 レバノンでは同じバアス党がイラク派とシリア派に分裂した。イラク派は2003年のフセイン体制崩壊と共に消滅したと見られる。今現在も、イラク・バアス党を支持するのはヨルダンとイエメンのバアス党だけである。
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