ビル・テリー
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ビル・テリー(William Harold Terry, 1898年10月30日 - 1989年1月9日)は、1920~1930年代にアメリカ・メジャーリーグで活躍した一塁手。ジョージア州アトランタ生まれ。左投げ左打ち。ニックネームは「メンフィス・ビル(Memphis Bill)」。
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[編集] 略歴
- 1923年に当時のアメリカン・アソシエーションから、フレディ・リンドストロムとともにニューヨーク・ジャイアンツに移籍し、メジャーデビューを果たす。
- 1930年に、打率4割を超え首位打者を獲得するとともに、同じ年に254安打を記録し、それまでジョージ・シスラーが持っていたシーズン最多安打にあと3本まで迫った(2006年現在も歴代3位の記録である)。
- 1932年からは、前任のジョン・マグローの後を受けて監督兼任選手となり、1936年まで現役を続ける。監督兼任の間にリーグ優勝2回、ワールドシリーズを1回制覇しただけでなく、自身の打率も一度も3割を切ることがなかった。
- 1941年にジャイアンツの監督を退く。
- 1954年、記者投票によりアメリカ野球殿堂入り選手に選出された。以後しばらくの間、野球殿堂のベテラン委員会に籍を置くが、この間の殿堂入り選手の選考について、一部問題視する向きもある(アメリカ野球殿堂の項を参照)。
- 1984年、ジャイアンツが彼の背番号3を永久欠番とする。1989年、フロリダ州ジャクソンビルで逝去。
[編集] 所属球団
- ニューヨーク・ジャイアンツ(1923-1941)
- ※1923-1936年まで選手、1932-1941は監督として所属
[編集] 通算成績
[編集] 打撃成績
- 試合:1721
- 打数:6428
- 安打:2193
- 二塁打:373
- 三塁打:112
- 本塁打:154
- 得点:1120
- 打点:1078
- 盗塁:56
- 三振:449
- 犠打:137
- 四球:537
- 死球:9
- 打率: .341
- 出塁率: .393
- 長打率: .506
[編集] 獲得タイトル・記録
- 首位打者:1回、(1930年、.401)
- 最多安打:1回、(1930年、254安打)
- ワールドシリーズ出場:3回(1924,1933,1936)
- オールスターゲーム出場:3回(1933,1934,1935)
- ナショナルリーグMVP:1回(1930年)
- 連続4年間の通算安打数:918安打(1929-1932)
- 「MLBオールセンチュリー・チーム」に選出(1999年)。
[編集] 監督としての記録
- 通算:823勝661敗(勝率.555)
- リーグ優勝:3回(1933,1936,1937)
- ワールドシリーズ勝敗:通算7勝9敗(勝率.438)
- オールスターゲーム出場:3回(1934,1937,1938)
[編集] エピソード
- 2006年現在もなお、彼はナショナルリーグにおける「最後の4割打者」である。
- 1929年6月18日、ダブルヘッダーでテリーは計9安打を放ったが、これ以後現在まで、ナショナルリーグで1日9安打の記録が作られたことはない。
[編集] 出典・外部リンク
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