フェラーリ
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フェラーリ (Ferrari) はエンツォ・フェラーリが設立したイタリアの自動車会社、及びF1のコンストラクター。フィアットグループの傘下。本社はモデナ県マラネッロにある。基本的に高級GTカー及び高級スポーツカーしか製造していない。
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[編集] 概要
1947年に、アルファ・ロメオのレーシングドライバーであったエンツォ・フェラーリにより、レーシングチーム運営のための会社として創立。創立当初はスクーデリア・フェラーリとして、アルファ・ロメオのレース運営の会社として機能していたが、やがて自社のレーシングカーを開発するようになり、アルファ・ロメオ社のレース撤退と共にその資産を受け継いだ。
当初はレースに参戦する費用の捻出のために、旧モデルとなったレーシングカーをロードカーとして仕立て上げて貴族や富豪に販売していたが、250シリーズで初めて市販車の製造を開始した。しかしながら、初代は熱い、うるさい、乗り心地が悪い、故障が多いなどと不評も多かった。シリーズを重ねるごとに改良は進んだが、エンツォは自社の市販車にスポーツカーという言葉は用いなかったばかりか、乗り心地や快適性を求める購入者を蔑んでいたと言われる。
当時の市販車は、それまでのフェラーリにしては量産車と言える物であったが、その価格は依然として高かった。その割りに工業製品としての品質はかなり低く、工作精度や品質のばらつきが大きい上に、ロードカーとしては設計上の問題も多かった。後にフィアットの傘下に入ってある程度の品質向上はできたものの、性能の向上と言うよりはむしろマーケティングの面からミッドシップを採用しながら居住性やトランク確保といったようなキツ要請・快適性をクリアするために、重心高が上がり限界速度域での挙動がデリケートで運転が難しくなり、「跳ね馬」成らぬ「じゃじゃ馬」と呼ばれていたこともある。F355からはF1マチックというシーケンシャルのセミATが採用され、それまでの重いクラッチを使う必要がなくなった。 また、メンテナンス性も低く、交換部品等が高価で維持コストも高いため、購入するだけでなくそれを維持できるということで、その所有者のステータスの高さの証明であるとも言える。ただし、ターゲットが富裕層のためロードカーとして設計されたモデルはそれぞれ同時代の車に比べて運転が難しかったり調子を保つことが困難であったりすることはなく、こうしたイメージは程度の悪い中古によるものか、或いは現在の基準でクラシックモデルを判断していることによるものであろう。
1960年代に経営が苦境に陥り、1963年にフォードから買収を持ちかけられるが(一説にはエンツォからアプローチしたともいわれるが、いずれにしても、「向こうがその気なら話を聞いてやらんでもない」という感じの終始尊大な態度だったという)買収金額をめぐって交渉は決裂。1969年にイタリア最大の自動車メーカーであるフィアット社の援助を受け、その傘下に入ることで命脈をつないだ。この買収の決裂を受けて、フォードは後に独自のスポーツカーGT40を開発し、その資本力に物を言わせ、ル・マン24時間レースでフェラーリを打ち破ることになる。
フィアットの傘下に入った後、ディーノ206/246のエンジンがグループ内でやりとりされることとなり、フィアットからはディーノ・クーペ/スパイダー、ランチアではストラトスが生まれた。このエンジンは政治的配慮からなのか、キャブ、カム、ピストンに至るまでフェラーリ、フィアットともにまったく同で、排気レイアウトの関係上フィアットの方が馬力的に有利にもかかわらず、フィアットの方が馬力が少ない表示となっている。またその後エンツォは、元来興味の薄い市販車部門からは一切の手を引いてレースのみに専念することとなる。そして市販車部門をフィアットの意向が支配するようになった結果、比較的安価な量産スポーツカーとして308シリーズが生まれ、フェラーリ史上最大のヒット作となった。308のエンジンはランチアのレーシングマシンに使用され、ランチア・テーマにも積まれた。 これはやがて328、348と発展し、自動車メーカーとしてのフェラーリの屋台骨を支え、現在のF430にも連なるV8フェラーリの系譜となった。F430のエンジンはマセラティと共有であり(マセラティの方が先行採用)、フィアット、ランチア、マセラティとその心臓部分を共有した歴史があるが、アルファ・ロメオとは共有したことがなかった。しかしアルファロメオ8Cコンペティツィオーネの市販決定によりついに母(アルファ)と息子(エンツォ)のコラボレーションが成立したことになる。
その後、フィアットの創業者一族につながり、かつてチーム監督としてレース部門を立て直したルカ・コルデーロ・ディ・モンテゼーモロが社長に就任後、品質の劇的な改善に成功し、好調な業績を上げてきている。モンテゼーモロはその手腕を買われ、その傘下にマセラティを加えて復活させ、さらには苦境に陥った親会社フィアットを率いている。
[編集] カヴァッリーノ・ランパンテ
イタリア語で「カヴァッリーノ・ランパンテ(Cavallino Rampante)」という後足で立ち上がった馬の紋章を使用するため、「跳ね馬」の愛称を持つ(但し、正しい日本語訳は「気負い馬」である)。この「跳ね馬」はエンツォ・フェラーリの兄アルフレードが第一次世界大戦時に所属していたイタリア空軍スクーデリア91a部隊のエンブレムであった。エンツォはこの部隊に属していた撃墜王、故フランチェスコ・バラッカ少佐の母から使用の許可を得たとして、フェラーリの紋章とした。しかしながらイタリアの英雄の母親とは言え、息子の部隊章の使用許可を与える権限などあるはずもなく、エンツォが彼女の思いつきのようなアドバイスを採用したというのが実情らしい。
この跳ね馬の紋章はバラッカが撃墜したドイツのパイロットが付けていた紋章から取ったもので、高性能・高級スポーツカーブランドとして覇を競ったポルシェ社の紋章と同じく、ルーツがシュトゥットガルト市の市章にある。
ちなみに、フェラーリのイメージカラーとして、赤(ロッソ)が非常に有名であるが、本来のコーポレート・カラーは黄色である。 特に、社旗のデザインは、社章の延長線上で黄色の旗に黒色でカヴァッリーノ・ランバンテを描く(或いは、加えてFerrariのロゴが入る)だけのシンプルなデザインであり、サーキットなどで見かける赤色をベースにした旗は、基本的にアンオフィシャルなデザインである。 現在では、赤色も暗黙のうちにコーポレートカラーに含まれているので、量産車のカラーのオーダーメイドプランでは、赤色と黄色は原則として取り扱いをしない。また、量産車の新車発表時には、赤色と黄色の車両を用意するように配慮されている。
[編集] 現行車種
- F430
- F430スパイダー
- 612スカリエッティ
- 599 (正式名称は599GTB フィオラノだが、日本仕様では商標の関係で599となる)
※フェラーリは4シーター車をラインナップに必ず入れている。これは北米では2シーター車の保険料が高額であるためである。レクサス・SCなどが大人はとても座れない後部座席をわざわざ装備しているのもこのためである。
[編集] 過去の主な車種
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[編集] コンセプトモデル
- P5
- モデューロ
- レインボー
- P6
- ROSSA
- MYTHOS(ミトス)
- GG50
[編集] 過去の名車ギャラリー
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- フェラーリ社(伊)
- コーンズ・アンド・カンパニー・リミテッド(日本総代理店)
- Ferrari Museum
- フェラーリオーナーズクラブ(ジャパン)
- フェラーリ検索エンジン(FERRARI-SEARCH)
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