フランソワ・オーベール
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フランソワ・オベール(François Auber, 1782年1月29日 - 1871年5月12日)、正しくはダニエル=フランソワ=エスプリ・オベール(Daniel-François-Esprit Auber)は、フランスの作曲家。
フランスのカーンに生まれる。ケルビーニに作曲を師事。オペラの分野で活躍し、50あまりの作品を遺した。1842年、パリ音楽院の院長に就任する。パリ・オペラ座ではワーグナーと人気を二分するとまで言われたが(ワーグナーの音楽が最初パリに紹介されたときは聴衆の拒否反応で大スキャンダルにあったのに対し、オベールは当時からパリのグランドオペラ・ファンに支持されていたため)、現在では彼の作品はほとんど忘れ去られ、数曲の序曲(特に彼の最も成功した歌劇「フラ・ディアヴォロ」)がごくたまに抜粋で演奏されるか、埋もれた作曲家の作品として録音される程度である。現在彼の墓はパリのペール・ラシェーズ墓地第4区にある。
彼の名はパリ・オペラ座の後方の通りの名(Rue Auber)、およびオペラ駅に地下で繋がるパリ高速地下鉄RERの主要連絡駅の名となっており、そのおかげで現在もパリ市民の記憶にとどめられている。