ブルース・スーター
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ハワード・ブルース・スーター(Howard Bruce Sutter , 1953年1月8日 - )アメリカ合衆国ペンシルベニア州ランカスター出身の元メジャーリーガー。投手。右投右打。
[編集] 経歴
1970年高校卒業後にワシントン・セネターズ(現テキサス・レンジャーズ)からドラフト21巡目指名されるも拒否し、オールド・ドミニオン大学に入学。1年後シカゴ・カブスと契約した。1976年5月にメジャーデビュー。当時まだ一般的でなかったSFF(スプリット・フィンガー・ファストボール)を駆使し、抑えとして活躍。1979年自身初のセーブ王に輝き、サイ・ヤング賞を受賞。1980年オフにセントルイス・カージナルスへトレードされ、1982年ワールドシリーズ第7戦を締めくくり、カージナルス15年振りの世界一に貢献した。しかし1984年アトランタ・ブレーブスへのFA移籍後は肩を痛め成績は下降、1988年に35歳で引退した。
[編集] 殿堂入りについて
- 5回のセーブ王獲得はナショナルリーグ最多。2006年に資格取得後13年目でようやくアメリカ野球殿堂入りを果たした。これはリリーフ投手としては4人目、先発経験のない投手としては初の快挙だった。このように殿堂入りに長い年月がかかったのは、リリーフ投手に対して殿堂入り委員会(主に全米野球担当記者協会)の評価が低いためである。しかしながら1970年代後半から1980年代前半の抑え投手『ファイアマン(火消し役)』は現在のクローザーとは異なり、ピンチとなれば8回から登板することも珍しくなく、長いイニングを投げ抜いた。スーターも100イニング以上登板は5回記録しており、この時代を代表する抑え投手だった。
- 殿堂入りに伴い、カージナルス在籍時の背番号『42』がスーターの背番号として永久欠番に指定されるが、すでに1997年にジャッキー・ロビンソンの永久欠番として定められており、史上3チーム目での同番号で二人の欠番選手の例となった。