ボジンカ計画
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ボジンカ計画(アラビア語:بجنكة)は、アルカーイダが1995年1月21日に決行を予定していたものの、未遂に終わったテロの計画。この計画は、フィリピン マニラのテロリストグループのアジトから1995年1月6日に発見された。
[編集] 概要
アメリカ同時多発テロ事件との類似点も多く、この事件の発覚により、アメリカのFBIはハイジャックされた航空機による次なるテロの可能性を予測しえたはずといわれている。
成田、ソウル、台北、香港、バンコク、シンガポールから11 機の飛行機(ユナイテッド航空、ノースウエスト航空 、およびデルタ航空)の爆破(後に、飛行機を建物に衝突させるよう計画が変更された)と、ローマ教皇(ヨハネ・パウロ2世)の暗殺を計画していた。
この予行演習としてメンバーの一人ラムジ・ユセフが1994年12月11日マニラ発成田行きフィリピン航空434便で時限爆弾を仕掛けた。爆弾は南大東島沖上空で爆発し、日本人男性1名が死亡している。詳細はフィリピン航空434便爆破事件を参照。