フィリピン航空
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フィリピン航空 | ||
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IATA PR |
ICAO PAL |
コールサイン Philippine |
設立日 | 1941年 | |
ハブ空港 | ニノイ・アキノ国際空港 | |
マイレージサービス | Mabuhay Miles | |
会員ラウンジ | Mabuhay Lounges | |
同盟 | 非加盟 | |
保有機材数 | 32機 | |
目的地 | 42都市 | |
親会社 | Philippine Airlines, Inc. | |
本拠地 | フィリピン マニラ | |
代表者 | ||
ウエブ: http://www.jp.philippineair.com/ |
フィリピン航空(Philippine Airlines)はフィリピンの航空会社である。1941年3月に設立され、アジアでは最も長い歴史を持つ航空会社。1946年7月に太平洋横断便を開設しアジア初の国際線を開設する。翌1947年5月にはマドリード線を開設しアジアの航空会社で初めてヨーロッパ乗り入れを開始。1967年には社長兼会長のベニグノ・P・トダ・Jrが国際航空運送協会 (IATA) 会長に選任される。1946年にIATAが創設されて以来アジア人が会長となるのは3番目であった。
国際線は1954年には国の政策、1998年にはアジア通貨危機と労働争議により一時運航停止になる。
特に1998年は会社更生法を申請し、組合がスト賃上げ10年凍結の会社方針に反発、経営陣は組合員の解雇及び全路線運航停止を発表したため厳密にはここで旧フィリピン航空の歴史は設立57年で途切れているが、会社側のプレスリリースではそのまま存続させていて2001年には設立60周年を祝っている。運航停止なった路線は同年内から復活するが、運航を停止した約3,4ヶ月の間キャセイパシフィック航空がフィリピン国内幹線を運航していた時期もあった。
国内便もフィリピンでは国民の重要な交通手段になっている。略称PAL。本社はマカティ市。
新生フィリピン航空はキャセイパシフィック航空やルフトハンザドイツ航空などと関係を深めていて、今後は経営の安定化といずれかの航空連合への加盟の可能性がある。
首都マニラ近郊のパサイ市とパラニャケ市にあるニノイ・アキノ国際空港(マニラ空港)がハブ空港になっていて全てのフィリピン航空便が第2ターミナルビルから発着する(共同運航便を除く)。
日本では東京、大阪、名古屋、福岡、沖縄からマニラへ、東京からはセブへも就航している。
目次 |
[編集] 保有機材
- B747-400 5機 433人 (First/Mabuhay/Fiesta) *N754PRは398人
- B737-400 1機 168/170人 (Fiesta)
- B737-300 2機 114人(Mabuhay/Fiesta)、148人(Fiesta)
- A340-300 4機 264人 (First/Mabuhay/Fiesta)
- A330-300 8機 302人 (Mabuhay/Fiesta)
- A320-200 9機 150人 (Mabuhay/Fiesta)、177人 (Fiesta)
- A319-100 3機 134人 (Mabuhay/Fiesta)
特にボーイング 747-400に関しては、N754PRの登録番号の機体は他の同社同型機に比べ、座席割り当て上席数が50席近く減少するため、オーバーブッキング時にはA320が臨時便で随伴してくることもある
A319のマブハイクラスにPALでは初のAVOD(Audio visual on demand)機能が搭載され、今後導入されるA320型機にも搭載される
[編集] 就航路線
[編集] フィリピン
- ラワグ (Laoag International Airport)
- レガスピ (Legazpi Airport)
- マニラ (ニノイ・アキノ国際空港) - メインハブ
- バコロド (Bacolod City Domestic Airport)
- セブ (マクタン・セブ国際空港)
- イロイロ (Mandurriao Airport)
- カリボ (Kalibo Airport)
- プエルトプリンセサ (Puerto Princesa Airport)
- ロクサス (Roxas Airport)
- タクロバン (Daniel Z. Romualdez Airport)
- タグビララン (Tagbilaran Airport)
- ブトゥアン (Bancasi Airport)
- カガヤン・デ・オロ (Lumbia Airport)
- コタバト (Awang Airport)
- ダバオ (Francisco Bangoy International Airport)
- ディポログ (Dipolog Airport)
- ゼネラル・サントス (General Santos International Airport)
- サンボアンガ (Zamboanga International Airport)
[編集] 東アジア
日本
韓国
中国
台湾
- 台北 (台湾桃園国際空港)
[編集] 東南アジア
インドネシア
- ジャカルタ (スカルノハッタ国際空港)
シンガポール
- シンガポール (チャンギ国際空港)
タイ
- バンコク (スワンナプーム国際空港)
ベトナム
- ホーチミン (タンソンニャット国際空港)
[編集] 北米
カナダ
- バンクーバー (バンクーバー国際空港)
アメリカ
- サンフランシスコ (サンフランシスコ国際空港)
- ロサンゼルス (ロサンゼルス国際空港)
- ラスベガス (マッカラン国際空港)
- ホノルル (ホノルル国際空港)
[編集] オセアニア
オーストラリア
グアム
- ハガニア (グアム国際空港)
[編集] まつわる冗談
フィリピン航空はよく出発や到着に遅れが出るため,現地にはPAL(Philippine AirLines)という略を(Plane Always Late)の略だと言う冗談もある。
[編集] 事件及び事故
- 1949年5月7日、航行中のDC-3が時限爆弾により空中爆発。乗員乗客13名全員死亡。
- 1994年12月11日、マニラ発セブ経由 成田行きフィリピン航空434便が南大東島沖上空で爆発、沖縄県の那覇空港に緊急着陸した。日本人男性1名(池上春樹)が死亡。この爆発事故はアルカーイダの捜査の過程でラムジ・ユセフがボジンカ計画の予行演習として行ったものであることが判明した。