マイナスイオン
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マイナスイオンは、日本にて1999年ごろからマスコミに頻繁に登場し、2002年夏に流行のピークとなった流行語である。この語句は自然科学の分野で明確な定義がなされておらず、その効果は偽薬効果と考えられている。化学の分野では、(溶液中の)負電荷のイオンは、陰イオン(negative ion)もしくは負のイオン(アニオン、anion)と表現するが、英語にminus ionという語句は存在しない。このマイナスイオンなる言葉が実際に何の物質や現象を指すかは、その時々で異なっている。
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[編集] 概要
この語句が使われる文脈において、マイナスイオンは常に好ましいものと位置づけられている。それに対してプラスイオンという反対の概念を出現させ、これが様々な害悪を発生させる根元であり、これを排除するためにマイナスイオンを身の回りに満たす方法を提案した。この単純な構図は科学的知識水準が低いにもかかわらず食生活・健康・環境・社会病理に関する関心を持つ人々に対して鵜呑みさせやすいものである。
マイナスイオン商品の解説や、健康本の著述の中には「マイナスイオンが疲労回復・精神安定を始めとする様々な健康増進効果をもたらす」などと主張するものがあるが、これらの効果は客観的に証明されたものではない。また、本来のイオンとは関連性のない効果や現象を混合したものもマイナスイオン効果と呼称している場合もある。
雑誌・健康本の世界では、事実上野放し状態で驚くべき効果効能が今なお(2006年12月)言説されている。健康増進に寄与することが実証されていなくとも、商品販売とは関係がなければ、書物の記述は薬事法の規制対象外であるためである。これらの言説がマスコミ(特にTV)やインターネットで引用され、言説が拡大再生産された(参考:アカデミック・マーケティング)。これが後述の2002年のマイナスイオン大流行の実態であった。
このブームに乗じて、様々なマイナスイオン商品が発売された。エアコン・冷蔵庫といった大型で高価な家電製品、衣類・タオル・マスクなどの繊維製品、マッサージ器やドライヤーなどの健康機器・美容機器、芳香剤・消臭剤などの日用品、自動車用品、パソコン、パソコン関連製品など多岐にわたっている。また、マイナスイオンを発生させるというふれこみの商品であっても、実際には何も発生させない単なる置物・装飾品・印刷物にすぎないものも存在する。
何かを発生しているように見せかけるため、音や光などがでるように細工された商品や大げさな説明文書を添えた商品も存在する。また、何かを発生したとしても、それは商品によってまちまちである(もともとマイナスイオンが何たるかという定義がないので当然である)。
[編集] マイナスイオン小史
日本国外では "negative ions" や "ionized air" と称する健康商品が、1950年代頃に一時的に流行したことがあった。しかしそれらは、米国食品医薬品局(FDA)の警告「イオン商品は健康に寄与しない」により、流行は終わった経緯がある。
イオン商品は数十年後の1990年代、日本にて「マイナスイオン」という和製英語をつけて再登場した。
1990年代後半よりマイナスイオン商品が販売されていたが、ブームのきっかけは1999年から2002年にかけてテレビ放映された情報バラエティ番組「発掘!あるある大事典」[1]の特集番組である。マイナスイオンの驚くべき効能が謳われ、ブームに火がつき、マイナスイオンは流行語となった。なお番組にはマイナスイオン関連の著作がある堀口昇、山野井昇、菅原明子らが出演している。
当時の家電市場は空前の不況[2]であり、大手家電各社は藁をも掴む思いでマイナスイオン商品に手を出し、様々な商品を販売したが、その効果効能の実証をしたわけではなかった。2002年上期の日本経済新聞社発表ヒット商品番付で、マイナスイオン家電は小結にランクされている。その他、繊維製品や雑貨品各社もブームに便乗して、マイナスイオン効果を謳う商品を市場に投入した。これらの商品は臨床実証がされぬまま、情緒的に驚くべき効果や効能が謳われた。
2003年に景品表示法が改正され、商品の表示に対しては合理的な根拠が要求されることとなった。これにより、大手家電のマイナスイオン家電のパンフから効果効能の記述が消えた。
2004年には、マイナスイオンブームは沈静化した[3]。沈静化した後もマイナスイオンを信じている人もいるが、これが事実無根であるとの知識を得て、疑いの目を向ける消費者も増えた[4][5]。
2006年11月、東京都は科学的根拠が疑わしいものとして、複数の業者に対し資料提出要求及び景品表示法を守るよう指導を行った。
2006年現在では、かつての狂乱的ブームは過去のものである。現時点では大手家電メーカーがマイナスイオンを売れる機能として表示しているものは、ドライヤーぐらいである。しかし、これも除電機という昔からある概念で説明がつくものであり、マイナスイオンのようなあいまいな言葉を本来使う必要がないものである。
しかし、無名家電や輸入家電の中にエアコン・扇風機・加湿器・除湿機等の商品をいまだにマイナスイオン機能付きで販売している者もある。また地方の観光地の売店などには、「マイナスイオン発生備長炭」等のかってのブームの名残りの商品を目にすることもある。
結局のところ、マイナスイオンとは、一見科学的な言説であるが、その実体は疑似科学的な商品を修飾するキャッチフレーズであったといえる。
[編集] 大気電気学の大気イオン
マイナスイオンの定義は、曖昧で発散している。その中には、大気電気学の大気イオンの概念を流用しているものがあるので、以下に少し説明する。
この大気イオンとは、気象学分野で大気中の電気の媒体として研究されてきたものである。もちろん大気イオンには、正も負もある。 マイナスイオンは、そのうち、負の電荷を持った方とする。
さてこの電荷をもつ「物質」の実体は、酸素イオンの水和物、もしくは、硝酸イオンや硫酸イオンの水和物などが考えられている。よく引用される論文によると酸素イオンの大気中の寿命は短く、硝酸イオンの形で安定して存在しているという。また、正イオンの実体は、アンモニウムイオンであるという。この大気イオンの主な発生源は、地表近くでは地殻の放射性同位元素からの放射線、および上空では宇宙空間からの宇宙線による電離作用にて生成する。
その他、マイナスイオンの発生源として、滝がしばしば取り上げられる。滝の近くでイオンが多く観測されるとして、仮説提案者の名前をとって「レナード効果」といわれる。ただし、この場合はイオンというよりも正しくは水滴の摩擦帯電現象によるものと考えるのが論理的である。
ここで注意するべきことは、この大気電気学は大気の電気現象に関する研究分野であり、その中には「健康」に関する言説は一切登場しないことである。科学である大気電気学と、そうではないマイナスイオンを故意に混同させて一般消費者を幻惑させている著述が後をたたない。
[編集] マイナスイオン商品を扱う業者の主張
既出のように、大気中には大気イオンが微量であるが存在している。大気汚染がある場合や、人工空間等では、大気中の帯電粉塵により中和され、大気イオン濃度は小さくなる。
ここまでは科学的な記述である。
しかしマイナスイオン業者たちは論理を飛躍させて、検証されていない健康効果を謳おうとする。例えば、先述の滝の側で高イオン値が観測されるとして、滝の側の爽快感はマイナスイオンが豊富だからだと主張する。滝の側の爽快感とは、飛び散った細かな水滴が気化する時の気化熱による空気の冷却と、都会の喧騒から離れた場所で、空気が清浄なこと、緑が目にやさしいこと、風が涼しいこと等々、心理的なものも作用していると考えられ、複合的な要因によるものであろう。いずれにしても科学用語ではないマイナスイオンなるもので説明する必要はない(参考:オッカムの剃刀)。
さらにマイナスイオン業者たちによると、人工空間のような非自然的環境ではプラスイオンが多く存在しており、これらが様々な疾患の原因である云々と主張する。中には、プラスイオンが精神の混乱や荒廃を促し、犯罪を引き起こす原因であると主張する者までいる。すなわち、「これらのイオンのバランスを改善すれば、環境を自然に近づけ健康を増進できる」と主張し、大量のマイナスイオンを発生させようと勧める。
マイナスイオン同様、プラスイオンも科学的な定義は行われていない。このプラスイオンと疾患の因果関係は、科学的・医学的に実証されたものではない。
[編集] マイナスイオン商品が標榜する効能
しばしばマイナスイオンの効果とされているものは以下の通りである。
(注意)以下の効能はいずれも実証されていないため(後述)、まともなメーカは現在はこれらの効能を直接的に宣伝することはほとんどない。
- 注意すべきこと。
- 承認を得ないで疾病の治療や予防、人の身体の構造や機能に影響を及ぼすことを標榜することは薬事法違反となる。
- 資料(東京都福祉保健局)
[編集] 人体への作用
- ストレス緩和
- 疲労回復
- 精神安定・不眠の改善
- 集中力向上
- 血液浄化……血液のアルカリ化、粘性の低下(いわゆる「血液サラサラ」)
- 新陳代謝促進……細胞膜の物質交流促進
- 免疫力亢進
- アレルギーの抑制
- 造血作用亢進
- 自律神経調整効果
- 毛髪キューティクルの保護
- 肩こり軽減
- 血糖降下作用
- 若返り
[編集] 環境への作用
[編集] その他
- 植物の生長促進
- 除菌・殺菌・防腐効果
なおマイナスイオンに似ているが別物として、プラスイオン+マイナスイオンにより除菌効果があるとする「除菌製品」を大手家電のシャープが販売している。シャープはこの商品に「マイナスイオン」という言葉を使わない方針である。同社によれば除菌は放電時に発生するOHラジカルによるものだという。
[編集] マイナスイオンの生成機
市場では、マイナスイオンを発生すると称する様々な商品が販売されている。 代表的なものは以下のとおり。
- コロナ放電方式発生装置
- 電子放射方式発生装置
- プラズマを利用した発生装置
- レナード方式発生装置
- 天然鉱石を用いるもの ― トルマリン鉱石等
- 植物の加工品 ― 木炭、竹炭
1~3はいずれも放電による大気の電離をねらう(尚、放電による電離ではこれも近年話題になっている活性酸素が生じているはずである。たとえば、ガスの火を点けるときは、放電で生じた原子状酸素の高い酸化力を燃焼のきっかけにしている)。4は既述のレナード効果(水滴分裂による帯電)によるものである。5は少し問題でトルマリン鉱石のみでは原理的に大気の電離は起こり得ず、放射性同位元素を混入させ電離放射線による大気の電離を狙う。すなわち、5では衣料など肌に近い製品に適用したものでは利用者が被曝する可能性がある。トルマリンは焦電効果を持つため、マイナスイオンが生成されるという説はそこからこじつけたものとも言われいる。6は理論的に説明が付かず、単にイメージのみ狙った商品であろう。
[編集] マイナスイオン効果を標榜しているメーカー
2006年11月現在、下記の大手家電メーカーでは、従来のマイナスイオンの概念に近い要素を取り入れた製品を開発、販売している。
いずれもマイナスイオンという言葉は用いずに、各社が独自の名称を使っている。この名称は科学的に定まっているものではなく、いわば商標である。大手メーカーでは、研究や検証を行い、より正確にそれらの効果を説明しているが、それ以外では未だに漠然とマイナスイオンという言葉を用いて、検証もされていない効果を謳う商品も販売されている。
[編集] マイナスイオンの測定
現在の「マイナスイオン測定器」の多くは、既出の大気電気学の分野で実用化した原理を利用している。即ち、接地した外筒の中に一定速度で空気を流し、外筒の中に帯電させておいた導体が電気的に中和されるまでの時間から、空気イオン濃度を測定するものである。しかし、この測定器は原理的にさまざまな環境因子の影響を受けるため、素人が適当に測定すると信頼できるデータをとることはできず、測定には高度な技術と知識が必要である。
例えば湿度にも敏感に影響するため、滝の側や湿気の高い森林の中などの測定データが妥当性のあるものであったか疑問に残る事例も多い。
[編集] 医学的実証に関して
マイナスイオンの効能で、根拠に基づいた医療の考え通りに実証されたものはない。
例えば、イオン化処理した空気で喘息発作が改善したと言説しても、単なる水蒸気や空気と比べて本当に差があるのか等、二重盲検法を用いて臨床実証しなければその言説が正しいとは言えない。効果効能を謳うためには、新薬の開発時と同様に本格的な臨床試験が必要であるが、そのような実証例は未だにない。なお、マイナスイオン商品流行の立役者H氏は、2003年8月に薬事法違反で業務停止処分を受けている[6]。
また、このような健康商品では、一種の心理効果・偽薬効果が働く。特にマイナスイオンのように大流行した健康法では、信じることにより、健康が増進したり環境が改善したりような自覚を得ている可能性がある。
[編集] まとめ
まず、当時の日本には健康ブームという素地があった。そこに大気イオンというおよそ健康商品とは無関係な分野の要素を持ち込んだことが新鮮さと受け取られ、流行の力のひとつとなったのであろう。またマイナスイオン健康本やTVの特集番組の影響も大きかった。
しかし、ブームが終わった今、冷静に振り返ってマイナスイオン商品が今後も生き残れるかどうかを考えると、それは健康作用への臨床実証ができるかどうかの一点にかかっている。もし、実証ができなければ、やはりマイナスイオンは疑似科学であったと結論付けられる。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 市民のための環境学ガイド(安井至国連大学副学長のサイト・マイナスイオン関連の記事が複数あり)
- 疑似科学批評・マイナスイオン批評特集
- マイナスイオンを謳った商品の実態(国民生活センター)
- マイナスイオン不買運動
- 日本機能性イオン協会 - 業界団体
- 第268回『マイナスイオン』Top page 2002年1月27日(日)21:00~21:54放映 注)文字化けしているので文字エンコードを(日本語 シフトJIS)に。
- 日本マイナスイオン応用学会
- 科学的根拠をうたったネット広告にご注意(東京都・生活文化局) 報道発表2006-11-27
- 「マイナスイオン商品」表示を科学的視点からの検証について(PDF, 354KB, 14ページ)
[編集] 注釈
- ^ 後継の「発掘!あるある大事典2」は2007年1月に捏造発覚をきっかけに番組打ち切り、さらに世論の非難の高まりのなかで4月には関西放送は社長辞任に追い込まれた。
- ^ 例えば家電最大手の松下電器産業は、2001年度には約4200億円の大赤字をだしている。
- ^ マイナスイオン関連製品 月別発表件数(イオントレーディング)
- ^ マイナスイオン商品の人体効果、半数以上が疑問視、専門家は「効果なし」と指摘(日本消費者新聞)
- ^ マイナスイオンを謳った商品の実態 (国民生活センター)
- ^ 「マイナスイオン」医療用具回収、未承認で製造・頒布