マケドニア人
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マケドニア人(Македонци)は、マケドニアに住む人々のことをさす。時代によって定義は異なる。
ここでは2.について述べる。
現代のマケドニア人アイデンティティは、1945年のユーゴスラビア社会主義化をうけて成立したものである。したがって19世紀後半の時点では、ブルガリア人とマケドニア人との違いは曖昧なものであった。実際、その時代のブルガリアの人物のなかには、マケドニア共和国の歴史ではマケドニア人とみなされる人物も存在する。
1912年にギリシャ・セルビア・モンテネグロ・ブルガリアはオスマン帝国に宣戦し、ギリシャその他四国(バルカン同盟)が勝利した。戦後のロンドン条約でバルカン同盟はマケドニア地方を獲得し、モンテネグロ以外の三国がこれを分割した。また、アルバニアが新たに独立した。
このときセルビアが取得した部分が、現在のマケドニア共和国の前身である。1945年ユーゴスラビアが社会主義国家となると、新しい連邦内共和国の国境が定められた。こうして誕生したマケドニア共和国に在住するスラヴ人は、マケドニア人と呼ばれるようになった。
1991年、マケドニア共和国の独立に際し、周辺三国の利害が衝突する事態が起こった。セルビアのソロボダン・ミロシェビッチ大統領は武力干渉を行った。反対にブルガリアは、マケドニア独立に好意的な態度をとった。ギリシャはマケドニア独立を一応支持したが、独立の条件として、国号からマケドニアの名を削除し、古代のマケドニア王国を連想させるシンボル(国旗の意匠など)を一切排除することを要求した。マケドニア共和国は1995年に国号を「旧ユーゴスラビア・マケドニア共和国」と改め、国旗の意匠も変更して、国際的に独立国として認められた。