ソロボダン・ミロシェビッチ
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ソロボダン・ミロシェビッチ(Slobodan Milošević, Слободан Милошевић セルビア人1941年8月20日 - 2006年3月11日)は、セルビア大統領(1989年 - 1997年)・ユーゴスラビア大統領(1997年 - 2000年)。
[編集] 経歴
ベオグラード大学法学部卒業後、ベオグラード情報局、ガス産業、ベオグラード銀行等、実業界で活躍した。政界に転身し、1978年~1982年、ベオグラード共産党党首となり、1987年にはセルビア共産党の党首となった。1987年、コソボ訪問時、アルバニア人から迫害されたセルビア人と出会い、彼は「もはや侮辱されることはないだろう」と語った。それ以来、セルビア民族主義者中で人気を獲得し始めた。
1988年2月にイヴァン・スタンボリッチが辞任したのを受けて、セルビア大統領に就任した。スタンボリッチは2000年に何者かに誘拐され、2003年に死体で発見された。セルビアの秘密警察による犯行と見られている。
1991年スロベニア・クロアチア・マケドニア共和国独立に、1992年ボスニア・ヘルツェゴビナ独立運動に軍事介入した。また1998年以降激化したコソボ紛争を治安部隊により弾圧したが、1999年のNATOによるユーゴ空爆後、コソボの国連管理を容認することとなる。
2000年秋の大統領選挙の際、国民の抗議行動により退陣し、大統領の座をセルビア民主野党連合のヴォイスラヴ・コシュトニツァに譲った。コソボ紛争でのアルバニア系住民虐殺などのジェノサイドの責任者として人道に対する罪で起訴され、経済援助を条件にするNATOの圧力の下、2001年4月に職権濫用と不正蓄財の容疑で逮捕・収監された。同年7月には同国憲法に違反して国連旧ユーゴスラヴィア国際戦犯法廷(オランダ・ハーグ)に身柄を移送され、以降人道に対する罪などで裁判が行われた。上記のスタンボリッチ殺害の容疑も、含まれている。
高血圧など体調の不具合という理由、また容疑事実の立証がなされなかったため、裁判は非常に長引いた。2006年3月11日朝、収監中の独房で死亡しているのが発見された。死因は心臓発作とされている。
ユーゴスラビアから改称したセルビア・モンテネグロでは、国際的な制裁の影響で厳しい経済状況のためにミロシェビッチを慕う者も多い。
[編集] パーソナル
妻のミリヤナ・マルコヴィッチとは、大学在籍中に知り合う。多くの人々は、彼女がミロシェビッチの行動、ユーゴスラビアの政治に大きな影響を与えたと考えている。
[編集] エピソード
- 2007年3月5日、ミロシェビッチの墓にサンザシを突き刺し悪魔祓いの儀式を行う者が現れ、話題となった。この儀式は吸血鬼や悪霊を祓うことを目的としており、ユーゴスラビアに古くから伝わる伝統儀式である。犯人は、過去にミロシェビッチ政権打倒を呼びかけていたカメラマンであり、奇しくもミロシェビッチと同姓であった。犯人自ら警察に通報したものの、警察は特に法的措置は取らなかった。しかし、セルビア社会党は当該儀式を非難するコメントを発表している。
カテゴリ: ユーゴスラビアの政治家 | 1941年生 | 2006年没