ムーンライダーズ
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ムーンライダーズ | |
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出身地 | 日本 東京 |
活動期間 | 1976年- |
ジャンル | ロック ポップロック ニューウェーブ |
レーベル | ワーナー・パイオニア 日本クラウン ジャパン RVC ポニー・キャニオン 東芝EMI ファンハウス キューン ジョイライド EAST WEST/ドリームマシン ムーンライダーズレコーズ |
メンバー | 鈴木慶一 岡田徹 武川雅寛 かしぶち哲郎 鈴木博文 白井良明(1977-) |
旧メンバー | 椎名和夫(-1977) |
ムーンライダーズ(Moonriders)は、1976年に結成された日本のロックバンド。
目次 |
[編集] 略歴
[編集] 結成
ムーンライダーズは、はちみつぱい(1971年結成、1974年解散)を母体として1976年に結成されたロック・バンドである。同時代にもうひとつのムーンライダーズ(1972年結成、1974年解散)が存在(メンバーは鈴木順、鈴木博文、松本隆、矢野誠、山本浩美)していたが、鈴木博文が在籍していた事を除けば、完全に別物である。彼らは便宜上、後にオリジナル・ムーンライダーズと呼ばれることになった。
「ムーンライダーズ」とは、稲垣足穂の小説「一千一秒物語」の一節から鈴木慶一が命名したもので、愛着があったのかどうか、オリジナル・ムーンライダーズの解散後にメンバーの鈴木博文にムーンライダーズの名前の再利用の承諾を得て、その名前を使うことになった。
彼らははちみつぱいで為せなかった「音楽で食べていく」事を優先させるため、まず、アグネス・チャンのツアーのサポート、バックバンドとしてキャリアを積み始めた。ただし、かしぶち哲郎はその方法に賛同せず、細野晴臣のトロピカル・ダンディーズに参加していた。
1976年1月25日、「鈴木慶一とムーンライダーズ」としてアルバム『火の玉ボーイ』でデビュー。当初、鈴木慶一のソロ・アルバムとして制作が進められていたが、手違いに近い形でバンド名がクレジットされることになった。再発の際に鈴木慶一の単独名義になった時期もあったが、現在リリースされている物は再び「鈴木慶一とムーンライダーズ」名義に戻っている。
[編集] コロムビア時代
1977年2月25日にようやく「ムーンライダーズ」としてアルバム『ムーンライダーズ (アルバム)|ムーンライダーズ』(クラウンレコード)を発表。サウンドがアメリカ的なものから欧州的になるにつれ、バンド内で抗争が起き、1977年3月24日のライブを最後に、音楽性の相違で椎名和夫が脱退。その後、『火の玉ボーイ』にも参加していたギタリスト白井良明が加入し、現行のメンバーが揃う事になった。
『イスタンブール・マンボ』(1977年)『ヌーベル・バーグ』(1978年)ではさらにその路線を押し進め、サウンドは欧州的から無国籍的な物へと変化していった。『ヌーベル・バーグ』の収録曲「いとこ同士」でシンセサイザーを積極的に楽曲に取り入れたことを皮切りに、バンド内でニューウェーブ化が進み、『モダーン・ミュージック』(1979年)の頃には、ディーヴォのような格好をして、既存の楽曲を解体・再構築するニューウェーブ・バンドと化した。その格好はすぐに止める事になるが、アルバム制作の際に「縛り」を入れるというルールが残った。『カメラ=万年筆』(1980年)は「架空の映画のサウンド・トラック」をテーマにヌーヴェル・バーグの映画のタイトルだけを借用し、楽曲は別物というコンセプト・アルバムになった。
[編集] ジャパン・レコーズ時代以降
以来、徳間ジャパンコミュニケーションズ、RVCへ移籍しながらもコンスタントにアルバムを発表し続けるが、1986年11月21日の『DON'T TRUST OVER THIRTY』(キャニオン・レコード)発表後、結成10周年記念として行われた、東京・恵比寿ファクトリー(東京都渋谷区:現在は閉鎖)でのライブの影響や、鈴木慶一の耳などの病気により5年間にわたって活動を停止していた。メンバーはゲーム「MOTHER」の音楽制作(鈴木慶一の作品)や音楽プロデュース、ソロアルバムの制作など活発なソロ活動を展開していた。活動停止期間中には、このまま自然消滅か?との憶測も流れたが、1991年4月26日に東芝EMI移籍第一弾アルバム『最後の晩餐』を発表。この年のNHKホール(東京都渋谷区)におけるライブのチケットは即日ソールドアウトとなり、待望の復活を果たした。さらに、この後もファンハウス、キューン・ソニーレコードと移籍を繰り返しながらも作品を次々と発表し、1999年にはワーナーミュージック・ジャパンのDREAM MACHINEレーベルに移籍し、関係者を驚かせた。そして2年後の2001年には、デビュー25周年(当時)を記念してアルバム『Dire Moron TRIBUNE』とファーストアルバム『火の玉ボーイ』の再発売盤をリリースした。2004年には自らのバンド名を冠したレーベルMoonriders Recordsを創立する。2006年にはデビュー30周年を迎え、日比谷野外音楽堂での多くのゲストを招いての記念ライブ、年末の全国ツアーライブ、アルバム『MOON Over the ROSEBUD』のリリースなど、活発な活動を行った。
彼らの音楽的先進性については、アルバム『ヌーベル・バーグ』(1978年発売)に収録されている楽曲において、当時登場したばかりのシンセサイザーを積極的に楽曲に取り入れたこと、アルバム『モダーン・ミュージック』(1979年)では当時最先端であったニューウェーブを取り入れたこと、『マニア・マニエラ』(1981年11月24日から録音開始)おいてRoland MC-4というミュージックシーケンサーを取り入れたことなどからもわかる。この『マニア・マニエラ』はテクノ・ミュージックの先駆けという作品に仕上がっているが、レコード会社から「難解すぎる」と評され、一旦発売中止となり、その後、当時まったく普及していなかったCDで発売(後に1984年にカセットブック、1986年にキャニオン・レコードよりLPとして発売)された。テクノムーブメント、サブカルチャー興隆の1980年代後半のアーティストとその客層に重なる高学歴層から徐々に広い地盤を築き、現在もソロ活動音楽プロデューサーなどメンバー個人の活動のほか、アルバム制作やライブ活動も精力的におこなっている。
楽曲のスタイルは常に変遷しているが、メンバーの全員がリードボーカルを担当しており、主要曲は男性ユニゾンとコーラスワークを基本とした曲作りとなっている。また、メンバーそれぞれ多くのCM曲を手がけており、近年では「PlayStation」、「アロエリーナ」、「ドコモダケ」等がある。
[編集] メンバー
[編集] 現メンバー
- 鈴木慶一(すずきけいいち) - ボーカル、ギター
- 岡田徹(おかだとおる) - キーボード、コーラス
- 武川雅寛(たけかわまさひろ) - ヴァイオリン、トランペット、コーラス
- 白井良明(しらいりょうめい) - ギター、シタール、ギタギドラ、コーラス
- かしぶち哲郎(かしぶちてつろう) - ドラム、コーラス ※初期は「橿淵哲郎」名義
- 鈴木博文(すずきひろぶみ) - ベース、ギター、コーラス ※慶一の実弟
[編集] 元メンバー
- 椎名和夫(しいなかずお) - ギター
[編集] ディスコグラフィー
- 火の玉ボーイ(1976年1月25日)
- ムーンライダーズ(1977年2月25日)
- イスタンブール・マンボ(1977年10月25日)
- ヌーベル・バーグ(1978年12月25日)
- モダーン・ミュージック(1979年10月25日)
- カメラ=万年筆(1980年8月25日)
- 青空百景(1982年9月25日)
- マニア・マニエラ(1982年12月15日)
- アマチュア・アカデミー(1984年8月21日)
- アニマル・インデックス(1985年10月21日)
- DON'T TRUST OVER THIRTY(1986年11月21日)
- 最後の晩餐(1991年4月26日)
- A.O.R(1992年9月30日)
- ムーンライダーズの夜(1995年12月1日)
- Bizarre Music For You(1996年12月4日)
- 月面讃歌(1998年7月18日)
- dis-covered(1999年11月25日)
- Dire Moron TRIBUNE(2001年12月12日)
- P.W Babies Paperback(2005年5月11日)
- MOON OVER the ROSEBUD(2006年10月25日)
- マキシ・ミニアルバム
- 夏の日のオーガズム(1986年6月21日)
- Beautiful Young Generation HIGH SCHOOL BASEMENT 1(1995年3月1日)
- La Cafe de la Plage(1995年6月25日)
- Six musicians on their way to the last exit(2000年12月15日)
[編集] その他
- 近年も雑誌などで採り上げることは少なくなく、月刊誌『ユリイカ』の2005年6月号(ISBN 4791701348)で、「ムーンライダーズ 薔薇がなくちゃ生きてゆけないんだってば!」などと特集されている。
- のちのミュージシャン、漫画家、作家などにも多大な影響を与えた。及川光博、みうらじゅん、いしかわじゅん、江口寿史、わかつきめぐみ、山本直樹、やまだないと、貞本義行らがそれである。
- また、元ポータブル・ロック、ピチカート・ファイヴの野宮真貴のプロデュースを手がけた。
[編集] 関連
[編集] 外部リンク
- moonriders.net - 公式サイト
- MRWS - ファンサイト